一定の条件のもとで使える方法を数多く発見するオープンタスクの練習問題です。
幅5メートル深さ1.5メートルの川があります。川を越えて毎日5トンの食品(穀物、野菜、肉、魚、塩、砂糖など)を運ぶ必要があります。自然に存在するものはなんでも使えますが、家畜はいないので使える原動力は人力だけ(てこ、バネは使えます)という条件で、食品を運ぶ方法をできるだけ多数リストアップしてください。
問題文の数字はおおよそのものと考えてください。コストや効率は考えなくても結構です。
高校の歴史の先生が、生徒たちに歴史に関心を持ってもらえるように授業の進め方を工夫しました。
考えたのは、生徒一人ひとりが歴史上の人物を一人自分で選んで、その人物について調べ、みんなの前で発表する、というやり方です。
これだけでも、ただ教師が一方的に話すだけの講義式の授業と比べれば生徒のやる気を引き出せるでしょうが、まだ足りないように思います。
どうすれば、生徒がもっと積極的に、もっと熱心に、自分の選んだ人物のことを調べる気になり、さらには歴史全体に対する関心・興味も強く持つようになるでしょうか?
一人の人物を選んで調べて発表する、という点は活かした上で、その授業をさらに効果的なものにする方法を考えてみてください。
http://edition.cnn.com/2012/06/21/opinion/bennett-teacher-innovation/
で紹介されているアメリカはミネアポリス郊外のRosemount High Schoolのアメリカ史教師 Josh Hoekstraさんの事例より
(アメリカのハイスクールでの歴史は人気のない科目らしいです)
数十年の歴史を持つ同人組織の記念会合でパネルディスカッションが始まりました。5人のパネラーは何代も前のリーダーを含む組織の大御所が中心です。はじめに一人ずつ自分の意見を述べ、その後5人でディスカッションを行う予定です。
ところが、一人ずつの話が長引き5人目の意見表明が終わったときにはディスカッションに充てられる時間は5分も残らないことになってしまいました。
あなたはこの組織に参加して3年目の新人ですがパネルディスカッションの司会を任されています。この後をどのように進めますか?
伊賀泰代『採用基準』ダイヤモンド社、2013年、p.202 を素材にしました。
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19世紀フランスですでに著名な画家となっていたドーミエはあるとき「収集家」と名乗る人物から次の内容の手紙を受け取りました。
ドーミエはどうしたら良いでしょうか?
TRIZLAND.RUの課題集(課題351)より
1960年代のことです。ある工場でアルミニウムの素材を固定しておいて、高速で回転するカッターを動かして加工する工作機械が使われていました。
回転しているカッターの先はよく見えません。また、アルミニウムは素材が柔らかいのでカッターは比較的早く大きく移動します。この工場では作業中の職人が加工に気を取られて手などに怪我をする事故が頻発していました。
生産技術担当者は職人がカッターに手を近づけないように金属のガードを取り付けましたが、作業がしづらいといって取りはずされてしまいます。職人は良い加工をすることに熱心で、規則や罰則をもうけても、ルールに従ってくれないのです。
なお、1960年代のことですからマイクロコンピュータなどを用いた制御を導入することはできませんでした。
この条件で、事故を避けるアイデアを提案してください。また、(いうことをきかない職人がやりそうなことを予測して)そのアイデアの欠陥と、欠陥を補う追加のアイデアも考えてみてください。場合によっては、追加のアイデアの欠陥と、さらなる追加の対策を考えることも必要かもしれません。
ジェイムズ・L・アダムズ著、石原薫訳『よい製品とは何か——スタンフォード大学伝説の「ものづくり」講義』ダイヤモンド社、2013年 より
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山岳地域に新しいトンネルが完成しました。
トンネル内には当然照明が設置されていましたが、長大なトンネルであり、山中のことですので、急な停電の可能性もあります。主任技師は、次のような標識をトンネルの入り口手前に設置しました。
注意 前方にトンネルがあります ライトをつけてください
開通後、トンネルの先に設けられた「世界一眺めの良い休憩所」(1日何百人もの利用者があったそうです)の駐車場で、バッテリーあがりのトラブルが頻発しました。トンネルのためにつけたライトを消し忘れる人が多かったのです。
主任技師はトンネルの出口のところに、今度はライトを消すように促す標識を設置する必要があると考えました。
しかし、「ライトを消してください」としたのでは、トンネルの外が薄暗くなっているのに、標識に従ってライトを消してしまう人がいないとは限りません。暗い山道をライト無しで走るのは非常に危険です。
かと言って、例えば「あたりが明るいならば、ライトを消してください。暗い場合はつけたままにしてください」などとしたのでは、文が長すぎて走行中の車から読み取るのが難しくなります。
標識である以上簡潔な文句が望まれます。
どうしますか?
(標識以外の解決策もあるかもしれません)
おまけ
様々な本の中から(とは限りませんが)実際に起こった問題を探しだして、月々2問ずつ掲載しているウェブサイトがあります。今回も良い参考書が見つかり、面白い問題を紹介できそうです。
しかし困ったことがあります。
その問題は大変興味深いものですので、参考書の著者にとっても印象的だったのでしょう。問題の解答に当たるものを本の表題にしてしまったのです。(それが唯一絶対の解答であるというわけではありませんが)
ウェブサイトとしては、参考書を紹介しないわけにはいきません。著者に失礼ですし、良書を多くの方に紹介するのもサイトの役割の一つです。
しかし、紹介してしまうと、今回に限っては「問題」になりません。閲覧者の皆さんに考えてもらうことができません。
どうしますか? 良いアイデアがありましたら、ぜひお寄せください。
というわけで、
ドナルド・C・ゴース、ジェラルド・M・ワインバーグ著、木村泉訳『〇〇〇〇〇〇 —問題発見の人間学』共立出版、1987年 より
沈没船を回収する際には、まず十分な大きさを持った頑丈なタンクに水を満たして水中に沈め沈没船に固定します。次に海上の作業船からタンクの中に圧縮空気を送り込んで水を排出します。こうして軽くなったタンクの浮力で沈没船を海面まで引き上げるわけです。
しかしこの方法が使えるのはせいぜい数十メートルの深さまでです。100メートルを超えるような深い海に沈めたタンクから水を排出するには極めて高圧の圧縮空気が必要なため現実的にこのやり方が通用しません。
さてそれでは、上の通常の方法とは違うやり方で深海に沈めたタンクから水を回収するアイデアを考えてください。
少し昔のことです。
イタリアのある博物館が外国で開催される展示会に自館の収蔵品で歴史的な価値の高いエトルリアの壺を出品したいと考えました。この壺は博物館の目録に写真入りで載せられているほどの名品です。イタリアの宝といえる壺ですから、国外への持ち出しには税関の許可が必要ですが、その許可がもらえません。許可を取るために税関と交渉を繰り返していたのでは展示会の期日に間に合わない恐れがありました。そこで、博物館は一計を案じて税関を騙すことにしました。
結果として壺を展示会に出品することができたのですが、さあ、博物館はどうやって税関を騙したのでしょうか?
(悪意によるものではありませんが、博物館のしたことは犯罪にあたり一般的に許されることではありません)
ヤシの木は毎年頂点近くに新しい枝が生え、花や実もそこに育ちます。古い枝は順次落ちてゆきますので、スルッとした長い幹の頂点に緑の枝、花、実がついたヤシ独特の形が生まれるわけです。
さて、東南アジアの各地でヤシの花柄(花をつける茎)にキズをつけ、そこからしたたるシロップを煮詰めて砂糖にする農業が行われています。シロップは花柄のキズの下に縛り付けた陶器のツボに集めて朝夕に収穫します。朝夕幹を登ってはツボを交換してシロップを集めるわけです。花柄は20から30メートルの高さについているので、枝がなくて手がかり足がかりの得られない幹をこれだけの高さまで登ることになります。収穫を多くするには何本かのヤシに登っては降りる作業を繰り返すことになるのでなかなか大変です。
もちろん梯子を使えば上り下りは楽になりますが、20メートルもの長さの梯子は上を幹に固定しなくては安定しません。したがって、ヤシ一本ごとに一本の梯子を固定しておかないと作業は楽になりません。それでは梯子を作ったりメンテナンスする作業自体が大変な仕事になってしまいます。
そこでオープンタスクです:
朝夕の上り下りの作業を楽にする方法を考えてください。
なお、ヤシの幹は頑丈ですので多少のキズをつけても木の健康を損なうことにはなりません。
ある街の路線バスについての問題です。
市民の生活の中心となる駅前を発着する路線が、市内の各方面に向かって伸びています。
駅は古い市街地にあり、駅前にバスターミナルやロータリーを作る余裕はありません。
駅前の大通りの両側に、降車場と、各方面行きのバス停が設けられています。(大通りを挟んで駅の反対側で乗り降りする乗客は、歩道橋や横断歩道をわたることになります)
ある路線、例えば病院発駅行きのバスが駅前の降車場に到着します。
そこからまた病院行きのバスとして出発するためには、バスを方向転換しなければなりませんがターミナルやロータリーはありません。大型バスですからUターンもできません。
右折左折を繰り返すなどして戻ってくることはできますが、その間回送車両となり、時間が無駄になります。(駅前の道は混雑しますので、なおさらです)
無駄な距離を走ったり、回送車両として走る時間をなるべく少なくして、スムーズにバスを運行するには、どのようにすればよいでしょう?
1919年1月、ボストンの街で大規模な事故が発生しました。
衝撃によって建物や鉄道の高架橋が倒壊したほか、200人近くの死傷者も出ました。
犠牲者の中には窒息死した人もいました。
この事故は自然災害ではなく、乗り物の衝突などでもありません。
また、当時のボストン市街には、大都市ですから食品や飲料の生産・加工場などはありましたが、危険物を扱う重化学工業の施設などはありませんでした。
いったい何が、このような大災害を引き起こしたのでしょうか?
次のようなお話があります。
お手伝いのグレーテルは主人から、「今日の晩ごはんは友だちといっしょに食べるから、ニワトリの丸焼きを作っておくれ」と頼まれました。
グレーテルはさっそくニワトリの丸焼きを作ったのですが、肝心のお客がなかなか来ません。
主人はお客を呼びに、家を飛び出して行ってしまいました。
主人とお客を待つ間にグレーテルは、味を確かめるためにパクリ、「温かいほうがおいしいのに」とパクリ、「おそいわねえ」とパクリ。
パクリパクリとつまみ食いをしているうちに、とうとうすっかり全部食べてしまいました。
そこへ主人が帰ってきて、
と、ナイフをとぎ始めました。
……
さて、あなたがこのお話の作者だとしたら、グレーテルがニワトリの丸焼きを食べてしまったことを主人から叱られないために、どんなふうにストーリーを展開しますか?
というサイトで紹介されている、「かしこいグレーテル」というお話です。
リンク先のページにはもちろん続き、つまり「答え」が書いてあります。
クリックする前にぜひ、自分なりの答えを考えてみてください——もちろん元のお話のとおりである必要はありません。
気圧計で高層ビルの高さを測ってください。
模範解答的なものから一捻りしたものまで、いくつかのやり方が考えられると思います。考えてみてください。
実はこの問題の解答例は当サイトのどこかにあります。解答例の書いてある文章は大変優れたものだと思います。ぜひ、探してみてください。
ゾウの重さを計りたいのですが、100キログラムまで計れる秤しかありません。どうやって計ったら良いでしょう。
秤以外のものであれば、利用できるものは豊富にあります。
イギリスでは、産業革命が急速に進んだ18世紀の半ばまで製鉄のために使われる燃料(還元剤)は木炭でした。このため、産業革命によって鉄の需要が急速に増加するとともに森林の荒廃が進み、コークスの利用が広がるきっかけとなりました。
一方、江戸時代の日本では鉄の90パーセントが中国山地で精錬されていましたが、中国山地の森林が荒廃するような事態は生じませんでした。
江戸時代は産業革命以前の状態で鉄の需要が小さかったとはいえ、日本の鉄の需要をほとんど一手に引き受けていた中国山地で森林の荒廃が生じなかったのは、土地の人の工夫があったからです。どんなことをしていたのでしょうか。考えてください。
飛行機や電話の例を挙げるまでもなく昔の人々に不可能に思われたことが可能になった例はたくさんあります。それでも私たちは仕事や生活の中で難問に出会って「これは不可能だ」と考えてしまうことがあります。
不可能を不可能と考えたのでは何も生まれません。
TRIZには「不可能とは条件付き可能のことだ」と考える習慣を育てる「金魚モデル」というテクニックがあります。
淡水魚の金魚が生きたまま海で網にかかるのは不可能と思われますが、例えば
という条件があればそれも可能となりそうです。
マタイによる福音書に次の逸話が書かれています。
一旦聖書から離れ、特別な力を想定しないという前提で、どのような条件をつけたらこのようなことが可能になるか考えてください。
牛舎で多数の牛に餌を与える際に自由にしておくと強い牛が他の牛の餌を奪ってしまうおそれがあります。そこで首かせで一頭づつ固定して長い餌おけにそって横一列に並べて餌を与えるのが普通です。
牛の頭の幅と首の幅とのあいだには大きな差があることを利用して、例えば図のような首かせを使い輪の中に首を入れさせてから留め金でとめて固定します。
しかし、飼っている牛の数が多い場合には一頭づつ首を入れさせて固定するために大変な手間がかかってしまいます。牛が餌を食べようとする動作を利用して自動的に首を固定することができないでしょうか。仕組みを工夫してください。
なお、牛は自然状態では草原で少しずつ前進しながら長時間草を食べ続ける動物です。首を上下に自由にすることさえできれば餌おけの前で長時間餌を食べ続けることは苦にしません。
1911年、イギリスのスコットを隊長とする探検隊が南極点を目指しました。
極地探検には寒さ対策が欠かせません。
スコット隊は当時最新の科学的知識を動員して、雪上車、防寒服、特殊ストーブ等を用意し、出発しました。
しかし、結果は失敗でした。
南極点にはなんとか到達しましたが、ライバルのアムンセン隊(ノルウェー)に先を越された上に、帰路、隊員が次々と倒れ、全員が帰らぬ人となりました。
アムンセン隊は全員が無事帰還していますが、両者の間には運不運を超えた大きな違いがあったと言えます。
つまり、当時にあっても南極探検を成功に結びつけるより有力な方法を考えだすことが可能だったということです。
有名な話なのでご存じの方も多いかとは思いますが、詳細をご存じない方、忘れたしまった方は、ぜひ、検索等はせずに、成功のためのアイデアはどこから得られるか、考えてみてください。
A.チェリー=ガラード著 『世界最悪の旅—スコット南極探検隊 』中公文庫BIBLIO、本多勝一著『アムンセンとスコット』教育社 などより
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取引先との初めての顔合わせの際の出来事。
「はじめまして」と相手の担当者が名刺のつもりで差し出してきたのは病院の診察券。しかも「肛門科」と書いてあります。
この取引先とは良い関係を築きたいと思っています。どうしますか?
で紹介されているシャーク・市屋さんのツイートから
2人の男の子がバドミントンをしています。1人の子供は12歳、もう1人は10歳です。2人は何セットかプレイしましたが腕前には大差があります。年下の子供は一度も勝てません。だんだん元気が無くなってきました。シャトルに触れることさえできず、とうとうラケットを放り出してベンチに座り込んでしまいました。
年上の子がなんとか続けさせようと説得しますが相手は返事もしません。2人とも傷ついてしまったようです。
ここで問題です:
この2人の男の子がもう一度バトミントンをしたくなり、実力の違いがあっても2人ともが楽しめるようにするにはどうしたらいいでしょうか。もしあなたが、年上の男の子だったとしたらどうしますか? 良いアドバイスをしてあげてください。
心理学者マックス・ヴェルトハイマーが書いた『生産的思考』を素材としてTRIZマスターの1人アレクサンドル・クドゥリャフツェフが取り上げている問題です
http://www.metodolog.ru/00033/00033.html
(M.ウェルトハイマー著、矢田部達郎訳『生産的思考』岩波現代叢書、1952)
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あなたはある画期的なソフトウェアを思いつき、一応商品として販売できる水準のものを完成させました。
そのソフトウェアの核となる部分は大変素晴らしいもので、それと同水準のアイデアはそうそう思いつくものではありません。今の段階で売りだしても、多くの人に喜ばれる、「売れる」商品となることは間違いありません。
しかし、そのソフトウェアをより便利に安心して使えるようにするアイデアは次から次へと思いつきます。開発者としてはお客さんにできるだけ便利に使ってもらいたい、つまり最新のものを使ってもらいたい気持ちもあります。
このソフトウェア(並びにその改良版)に基づく長いスパンのビジネスモデルを考えてください。
エリック・スティーブン・レイモンド著、山形浩生訳『伽藍とバザール』光芒社、1999年 を参考にしました
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経済学の父と呼ばれるアダム・スミスの主著『国富論』の冒頭に分業が労働の生産性を高めることを説明する例としてピンの製造をめぐる状況が紹介されています。当時ピンの製造は18の工程からなってました。作業に慣れていない職人が18の工程を一人でこなしてピンを製造すると1日に20本を作るのも難しい作業でした。ところがアダム・スミスが観察した10人の職人が最低限の設備を使ってピンを作っているある小さな作業所では、18の工程を10人で分担していました。針金を引き伸ばす、それを真っ直ぐにする、そのあとを切る、先をとがらせる、先端を削って頭がつくようにする、こういった作業をそれぞれ別の職人が担当する。頭を作る作業も、2つか3つの作業分担に分かれていて、更に、頭をつける、ピンを磨いて光らせる、できあがったピンを紙に包むという作業もそれぞれに担当の職人がいます。『国富論』によれば、こうした分業でピンを作っている10人の作業所では、みんなが懸命に作業をすれば1日に48000本、つまり一人当たり4800本のピンを製造することができました。熟練した職人でなければ1日に20本もできそうもないのに、同じような職人が10人で作業を分担すると一人当たり1日4800本のピンを作ることができた。これが分業の効果だというのです。
アダム・スミスは18世紀にイギリスで活躍した人物ですが、18世紀のヨーロッパでは1つの製品の製造を一人の職人が初めから終わりまで担当するほうが一般的でした。このため、同じ製品でも一個一個に個性があって細かい寸法や形に違いがあるのが当たり前でした。さて、世紀が代わった19世紀始めのヨーロッパはナポレオンが登場してフランスが勢力を急拡大した時代です。イギリスは1802年から急遽軍艦を整備してフランスとの戦争に備えることにしました。その一環として軍艦で使う滑車を1年間に10万個作らなければなりません。その時までこの滑車も他の製品と同じように職人が1つづつ手作りしていました。頑丈な硬い木から数十センチの大きさの滑車を一人で作ることを考えてください。それを毎日約300個作るのですから何人の職人が必要でしょうか(しかも、滑車は軍艦を作るのに必要な部品の1つにしか過ぎません)。ところが、イギリス海軍省はマーク・イザムバード・ブルネルという技術者の新しい提案を採用することによって1808年には3種類の大きさの滑車を合わせて年間合計13万個つくるまでに生産を急増させることができました。
ブルネルの提案には現在ではあたりまえとなっている考え方が複数含まれていました。あなたがブルネルだとしたら、滑車の生産効率を上げるためにどんなことを提案しますか。産業革命が本格化し始める19世紀始めという条件を前提として、上に紹介した『国富論』の考え方を更に広げて、ブルネルが提案した新しい生産方式にはどのような要素が含まれていたか考えてください。
アダム・スミス著、山岡洋一訳『国富論:国の豊かさの本質と原因についての研究』上、日本経済新聞社出版局、2007年、pp.7–8 より
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18世紀の大砲は鋳型に溶けた金属(鉄、青銅または真鍮)を流し込んで作っていました。大砲の形をした鋳型の中央に砲弾が通ることになる砲腔の部分を粘土で円柱状に作成(いわゆる中子です)して吊るし、その周囲に溶けた金属を流しこみます。金属が冷えた後、中央の粘土を取り除くとそこが砲腔となって大砲が完成するわけです。しかし、この方式では砲腔が中心から多少ずれることはさけられませんでした。その結果として砲身の部分の金属の厚さにばらつきができてしまうことになります。大砲を撃つ際に金属の薄い部分が爆発の力で割れてしまう恐れがありますから、その分の余裕を考えて大きめに作っておく必要があったのでどうしても大砲が重くなってしまいます。また、この作り方で作った砲腔の形は完全な円筒形ではなく、その分を考慮して砲弾のサイズはやや余裕を持たせて小さめにしなければなりませんでした。このため大砲を撃つ時には砲弾と砲腔との間の隙間から発射ガスが漏れるので、火薬が爆発した力のかなりの部分が失われてしまいます。
さて、18世紀半ばに大砲製造技術に1つの技術革新が起きて、砲腔が中心からずれる、砲腔の形が完全な円筒形にならないという2つの欠陥は大きく改善されることになりました。この技術革新はナポレオン戦争の時代のフランス軍の強さの遠因ともなったのですが、18世紀に可能だった製造技術の技術革新とはどんなことだったでしょうか。なお、使用可能な金属素材は変わらないこととします(この分野で大きな技術革新が起きたのは18世紀末から19世紀始めのことです)。
ウィリアム・マクニール著、高橋均訳『戦争の世界史:技術と軍隊と社会』上、中公文庫、2014年、pp.335–341 より
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ヨーロッパでよく見かける石造りの城が要塞としての戦略的意味を失うようになったのは15世紀の後半ですが、そのきっかけとなったのは実用的な大砲の出現です。例えばイタリアのモンテ・サン・ジョヴァンニ・カンパーノにある石造りの要塞は、この時代より以前に7年間の包囲戦に持ちこたえた実績をもっていましたが、1495年にフランス軍がイタリアに侵入した際には鉄の砲弾を撃ち込まれてわずか8時間でぼろぼろになってしまいました。ところがその5年後、フィレンツェ軍が80門の大砲を持ち込んでピサの街を攻撃した際にピサの市民は対策を講じてフィレンツェ軍を撃退しました。
ピサの市民はどのようにしてフィレンツェ軍の大砲の攻撃を防いだのでしょうか。
ウィリアム・マクニール著、高橋均訳『戦争の世界史:技術と軍隊と社会』上、中公文庫、2014年、pp.175–194 より
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