このセクションでは、TRIZの創成者アルトシューラが書き残した論文等を翻訳し紹介します。
これらの文章は The Official G.Altshuller foundation の許可に基づいて掲載されたものです。(下記のURLはファウンデーションのサイトにリンクされています)
These papers were published with the permission of the Official G.Altshuller foundation: www.altshuller.ru/world/eng/index.asp.
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同ファウンデーションのサイトに掲載されているアルトシューラの略歴は以下の通りです。
ゲンリフ・サウーロヴィッチ・アルトシューラ(作家としてのペンネームはゲンリフ・アリトフ):
TRIZ-TRTS(発明問題解決理論−技術システム進化理論)の作者、TRTL(創造的人格形成理論)の作者、発明家、作家
1926年10月15日、タシケント市(ソ連、ウズベキスタン)生。1931年に家族がバクー市(ソ連、アゼルバイジャン)に移住。両親ともジャーナリスト。中学校を優等で卒業。アゼルバイジャン産業単科大学に入学。石油工業学科の一年在籍時の1944年2月にソ連軍に志願。第21空軍初等パイロット養成学校(ソ連、グルジア、ルスタヴィ)にて学ぶ。第二次世界大戦終了後退役せずバクーに配属、カスピ海艦隊で発明審査に従事する。第11513化学偵察部隊司令官。
少年時から発明を行う。初期の発明品にはロケットエンジン付きボート、ピストル型火炎放射器、防御服などがある。17歳で初めて発明者証を取得(1943年11月9日)。1950年までに発明件数は10を越える。最も知られた発明は高温ガス防御服(発明者証No.111144)。
1946-48年よりTRIZ(発明問題解決理論)の研究が人生の主要な目標となる。TRIZ-TRTSの基本的公準は次の通り:技術システムは一連の法則に従って発展する。これらの法則を明らかにして発明問題解決アルゴリズムを作るために利用することができる。アルトシューラはTRIZ-TRTSを開発し、完成させ、最終的に有効な思考の理論を作るために自らの人生のおよそ50年を捧げた。
修学歴:大学卒(アゼルバイジャン産業単科大学)中学在学時より独学に励む。15歳の頃からルビーシチェフ・システムと呼ばれるシステムに従って時間管理を実行。
1948年よりTRIZのクラスを開催。この時期には既に技術的矛盾を特定・解決する考え方を発見し、また、(今日、上位システム移行の法則、リズム一致の法則と呼ばれているものなど)幾つかの法則性や定石的な方法(最も初期のものの1つは集合状態の変更)の発見、幾つかの化学的効果の活用、強酸化物質の利用、{一語意味不明}、情報フォンドの蓄積の開始などが行われている。
1948年にはシャピロとともにソ連邦における発明の危機的状況に関するスターリン宛書簡を執筆。1950年7月28日に旧MGB(ソ連保安省)に逮捕され、裁判を経ず、臨時会議決定によって25年間自由剥奪の判決を受けヴォルクータ地区の収容所の1つレチラグに囚人No.1−Ch−502として収容される。収容所内で数件の発明を行う。1954年10月22日ソ連邦内閣所属KGV(国家保安委員会)ZakVO(トランスコーカサス軍事管区)によって名誉回復処置を受ける。
解放後バクーに帰還、1990年まで同地に居住。1990年9月より逝去までペトロザヴォーツク市(カレリア地方)に居住。
1955-1956年『バクー労働者』『塔』両紙の記者。
発明の理論に関する初めての出版物は論文「発明的創造の心理学」(G.S.アルトシューラ、R.B.シャピロ、「発明的創造の心理学」、『心理学の諸問題』、1956年No.6)同論文には公表された最初のARIZ(発明問題解決アルゴリズム)が含まれる。ARIZの改良に約40年が捧げられた。以下のバージョン全ての著者である。ARIZ-59, ARIZ-61, ARIZ-64, ARIZ-65, ARIZ-68, ARIZ-71, ARIZ-75, ARIZ-77, ARIZ-82 (A, B, C, D), ARIZ-85A, ARIZ-85B, ARIZ-85C.
当時は名誉回復を受けた者が職を得ることは実質的に不可能だった。アルトシューラは職を得る課題を発明問題の形式にあわせて「働かなくてはならない、働いてはならない」と定式化した。この課題の解決策は「空想小説を書かなくてはならない」ということだった。1958年に『イカロスとダイダロス』という短編小説によって空想小説作家としてデビュー。
最初の空想小説の短編は『スターキャプテンの伝説』(1961年)というシリーズとなった。全ての空想科学小説はG.アリトフというペンネームで出版された。この後、空想小説の中で発明のアイデアが生まれ、現実の発明の中で空想小説のアイデアがえられることになった。そうした際、そのようにして生まれた発明でも現実的な発明であることについて、技術の専門家と議論をしなくてはならないことがあった。ある時、専門家をどうしても説得できなかった際に空想小説家としてのゲンリフ・アリトフは次のような課題を設定した:文学の方法を用いて科学や技術が理想を目指す方向に発展することを示す、その一方、文学のジャンルの空想小説であるからして人間学を主要な目的とする。
アルトシューラは1960年代の我が国に置ける主要な空想作家の一人である。『空想科学小説のアイデアと状況データベース』(独特の世界の空想科学小説のアイデアの特許情報データベース)を作成。空想科学小説エッセイ、ジュール・ベルヌ、H.G.ウェルズ、A.ベリャーエフなどの予言の運命に関するエッセイを著述。
1957-1959年アゼルバイジャン建設省に勤務(技術支援室)。同所にて1958年に最初のTRIZ教育セミナーを行い、その中でIFR(理想最終解)の概念が定式化された。ソ連邦全域にわたってTRIZセミナーを実施。1970年までに行われたセミナーの数は19であり、その中には1968年にジンターリ(ラトヴィア)で開催された初めてのTRIZ教師育成セミナーが含まれる。アルトシューラがソ連各地の様々な都市で行ったTRIZ教育、教師育成セミナー、学級の総数は約70である。
1970年にバクー(ソ連、アゼルバイジャン)に青年発明家学校を設立。1971年には世界初のTRIZ教育センターであるAzOIIT(アゼルバイジャン民間発明創造インスティテュート)に改組。多くの都市にソ連初の発明創造学校、科学技術創造民間大学を組織した。1980年代にはこうした学校の総数は500以上となった。
1974年にアゼルバイジャン民間発明創造インスティテュートにおいてアルトシューラが行ったクラスの模様が映画『発明のアルゴリズム』(中央科学映画社)として撮影された。
1970年より小中学校生徒にTRIZを教育。1974年から1986年まで『ピオネールスカヤ・プラウダ』紙の発明部を主幹。10歳から17歳の生徒を対象として世界に例の無い教育実験を行った12年の間にアルトシューラは発明に関する課題に対する回答を書いた50万以上の手紙を分析した。彼の著書『そこに発明家登場』はこのユニークな実験にもとづいて書かれた。(1984、1987。増補改訂版1989、2000)
1973年に発明問題解決の実践に物質・場分析を導入。1975年には同じく発明問題の標準解を導入。
1989年より1998年までTRIZ協会会長。
アルトシューラは書籍以外にもTRIZに関する数十の論文を書いている。書籍の何冊かは外国語に翻訳されている(文献リスト参照のこと)
アルトシューラは発明の方法を作る試みから開始し、有効な思考の理論(TRIZ-TRTS、RTV、TRTLを含む)を作成した。この理論は世界各地の何千人という人々によって人間活動の様々な分野で創造的な問題を解決する目的で使われている。