本資料は Злотин Борис, Зусман Алла «Месяц под звездами фантазии: Школа развития творческого воображения»(直訳すると「ファンタジーの星の下でのひと月:創造的イメージ開発学校」)の本文の始めの部分の翻訳です。(書誌情報はページ末尾)
原書は1988年に出版され、旧ソ連で数万部売れたそうです。昨年以降著者自身が改訂を進めており、その内容を逐次翻訳してゆきたいと思います。
原書には著者紹介を含めて本書が書かれた経緯を述べた前書きがついていますが、ここでは本文の冒頭の部分から掲示することにします。
(サマースクールは30日間ですが、本サイトへの掲載は10日目までとさせて頂きます)
君が仕事をやめて引退するまであと何年かな。ずっと先と思うかもしれないけど、笑わないで考えてみようよ。50年、もっと長いかな。どんな仕事したい。お医者さん? 学者? 技術者? ビジネス? 社長さん? どんなことだってできないとは言えないよね。もう決めてる人もいるかな? でもね、世界ってどんどん変わっちゃうんだよ。大学を卒業しないうちに、今勉強していることがもう時代遅れになっちゃうかもしれないよ。今までずーっと続いて来た仕事だって、明日になったらすっかり様子が変わっていることだってあるよ。コンピュータや新しい勉強の仕方で先生の仕事も変わるし、新しい設備を使って人の身体がどうなっているか判るようになって、お医者さんの仕事だって、病気を治すよりも予防することが中心になるかもしれない。先生やお医者さんて仕事の名前は残るけれど中身はすっかり別のものになるかもしれないね。だって、今は誰も考えていない新しいことが起こるかもしれないもの。
学校や大学で教えてくれる知識は新しいことを勉強する基礎になります。でもそれだけで十分かな。今はまだ人類が知らない学問の中身を勉強することなんてできないよね。中身が判るまで待つ? それじゃあ時間がもったいないよ。
この本は、昔からある仕事にも、まだ世の中にない仕事にも、どんな仕事にも必要になる力を学校の生徒のうちに身につけてしまうというお話です。この力を持っていると、君がどんな仕事をすることになってもその仕事がとても楽しくなるし、仕事が変わったって新しくてわからないことをすぐに上手にできるようにしてくれる、そんな力です。この力って「創造的に考える力」っていうんだけど、決まりきったものでない新しい方法をどこでも、どこまでも、探してゆく力なんだ。今の世界ではこの力のない学者や技術者なんて考えられません。次には、工場で働く人にも、先生にも、お医者さんにも、パイロットにとってもこの力が欠かせなくなるはずです。
この本はいろいろな読み方をすることができます。例えば、始めから終わりまで、続けて読んでしまうこともできます。でも急がないで読んだ方がいいんです。本の中に出てくる知恵を出さなくてはならない問題を、自分の力で解決するようにがんばって、必要なら前に読んだところをもう一度読み直したりしながらゆっくり読んで下さい。
私たちの願いは皆さんが、創造的に考える力を学ぶ新しい方法を身につけ、それをお子さんや生徒の皆さんに教えてくださることです。毎日の章につけられた夜の省察の部分は先生やご両親、大人の皆さんを対象として書いています。私たちはこの部分で教えにくいところについて解説を追加し、補足資料を紹介するようにしたいと思っています。とはいえこの部分は、もちろん、子供が読んでも面白い内容になっているはずです。先生のための教え方の本を覗き込むのは子供にとって興味深いことですよね。
大型バスのドアが閉まりました。サマースクールに出発です。一緒にいるのはモルドヴァ、チェリャービンスク、リヴォフ、モスクワ、ノリリスク、レニングラードやその他の町からやってきた会員制科学協会のメンバーで7年生から10年生の生徒たちです。大人の人もいます。サマースクールでいろいろな学科を担当する学者や技術者の先生です。生徒たちは、これから一ヶ月間、サマースクールで遊びながら科学や技術の勉強をするのです。
その他に「シニア」の小さなグループも一緒です。シニアは「RTV{=創造的イメージ開発}学校」の冬コースを卒業した生徒たちで、今回は「インターン」として私たちを助けてくれることになっています。サマースクールで教える練習をしたら、自分の町の「RTV学校」で先生になる予定です。
バスは山を上り、谷を見下ろし、さっき高いところに見えた緑の森が、今度はずっと下の方に見えます。きれいな景色ですが生徒たちに楽しんでいる余裕はありません。発明の問題の答えを考えなくてはならないんです。
狭い道で3人の旅人が鬼に出会ってしまいました。鬼は旅人をつかまえて地獄に連れて行こうとします。でもその前に3人をいじめてやろうと思いました。そこで旅人に向かってこう言いました。
「鬼にできないことは何もない。できないことをいってみろ。見つけた者は許してやる」と言うのです。
最初の旅人は一生懸命考えて、すぐそばに立っている花の咲いた大きな木を金にすることはできないだろうと言いました。ところが、鬼には何でもないこと、あっという間に木は金に変わってしまいました。2人目の旅人は脇を流れている大きな川の水を逆向きに流すことはできないだろうと言いました。これも、鬼には簡単なことでした。さて、3番目の旅人は…… なにを言ったでしょうか?
——これって、発明の問題じゃないじゃない。発明って新しくって役に立つ物の作り方を見つけることじゃないの。
初めて参加する「新入生」生徒の一人がたちまち反発します。丸い眼鏡をかけた典型的な本の虫、血の気の多いウクライナっ子です。後で解るんだけど、この子はジェーニャっていう名前でSFに詳しいんです。『若き技術者』『知識は力』『青年と技術』『化学と生活』といった雑誌を端から端まで読んでたくさんのこと知っているけれど知識はバラバラです。RTVの専門家になるのにもってこいの生徒です。
これに応えてシニアの生徒が一斉に声を上げます。
——そうだね。この問題は物を作る技術とは何も関係がないように見えるよね。でも、このサマースクールでは「発明」をうんと広い意味で考えるんだよ。技術でも、スポーツでも、医療でも。ビジネスでも人間がするどんなことについても、新しくて、予想外で、すごく気の利いたアイデアで、創造的な考え方をしなくてはならないことは何でも発明って考えるんだ。芸術にも、SFについても発明があるんだ。
——私たち、本当の問題を解決できるようになるために、これから、そういう色々な問題で練習するの。
——そういう問題をやってみると、頭の中のイメージが豊かになって、普段気づかないことに気づけるようになるんだ。
——鬼の問題には「矛盾」がはっきり出てるよ……。
ここで先生が、インターンたちが新しい生徒が自分たちで色々に考えるのを邪魔しないようにとなだめます。新入生から幾つかアイデアが出ますがそれでは答えになりません。みんな考え込んでしまいます。 こうなってからがシニアの出番です。といっても、シニアも答えを知っているわけではありません。そこで、問題で言われていることの分析から始めます。
——必要なのは、何でもできることになっている鬼に、何か普通ではない課題を出すことだよね。そこが矛盾のはっきり見えるとこだね。だから、鬼にも矛盾のある課題を出さなくちゃならないってことだ。そうすれば、鬼にも解決できなくなる。
——鬼が泳いで渡れない川を作って泳いで渡るように言ったら。もし泳いで渡れたら、渡れない川はできなかったことになるし、渡れなかったらそれも言われたことができなかったことになるよ。
——自分で自分を食べさせる!
——どこにもない椅子に座らせる!
解決策のアイデアがどんどん出てきます。こうなると、どういうことを探せば良いのか分かったので、シニアだけでなく新入生もアイデアを出します。
——鬼にやさしくならせて、誰も地獄へ連れて行かないようにする!
——地獄を無くならせる!
みんながニコニコしながら声を出すのを先生がやっとのことでしずめます。
——はい、良くできました。鬼をやりこめるやりかたは、まだまだあると思います。
この問題はイギリスの昔話を題材にしたものです。昔話では3番目の旅人は大きな音で口笛を吹いて「さあ、このボタンに自分の体を縫い付けておくれ」と言ったんです。
今日は朝早く出発しました。お互いの顔も見えない時間です。明るくなって一人の女の子があたりを見回して気づきます。
——あら、あなた知ってるわ。それにあなた。テレビで見たわ。
シニアのみんなは満足げに胸を張ります。何ヶ月か前に「RTV学校」の様子がまたテレビで取り上げられたのです。7人の男子と5人の女子が市内の様々な会社からテレビ局が招待した12人の大人の設計技術者と知恵競べをしたのです。番組で取り組んだ問題(問題2)は酪農機械工場の設計センターの所長が選んだもので、生徒にも技術者にもあらかじめ知らされていません。私たち、RTV学校の先生も知りませんでした。
乳牛を牧草地で放牧しますが、普通牧草地には木は一本も生えていません。虫がたくさんやって来て牛の身体を刺します。時々身体を何かにこすりつけて掻かないと、とても嫌がって、搾乳量が減ってしまいます。「身体掻き用の柱」を立ててみましたが、牛の体重は600キロもあって柱に身体を押し付けてかいているうちに柱を簡単に倒してしまいます。一方で基礎からしっかり作った恒久的な柱を立てるわけにもゆきません。牧草地は次のシーズンには耕さなくてはならないのです。柱はコストのかからないもので、電気の供給の必要がなく(牧草地には電気のもってきようもありません)、立てたり、取り去ったりが簡単にできるようでないと困ります。
このような柱の構造を考えて下さい。
生徒と技術者はそれぞれに分かれて天井の高いホールに座っています。2つのグループの間にはしきりがありますが、しきりは天井には届いていません。お互いに相手を見ることはできませんし、静かな音楽が流れていて隣の声も聞こえません。私たち、2人の先生とテレビ局の人たちはホールの上のバルコニーから会場を見下ろしています。会場の様子は大変に興味深いものです。技術者たちはそれぞれが様々な面白い案を考えますが、他の技術者のアイデアは無視しています。中にはいらだって大きな声を上げる人がいます。一方生徒たちは、問題を冷静に分析して、急いで「アイデアだし」をしたり、大きな声で答えの案を叫んだりはしていません。驚くほどの好対照です。
放送中に私たちは対戦の模様にコメントをつけ、TRIZや発明について説明し、これまでに生徒たちがおこなった発明を紹介し、「発明のアルゴリズム」という映画や最近「RTV学校」を映したビデオの断片を流しました。
番組は2時間、最後に結果の比較です。技術者の提案は移動式の自動車洗浄機のような設備です。エンジンで回転ブラシを廻す仕組みです。もう1つの案は自動車に搭載した「牛掻きロボット」のようなおそろしい装置です。
生徒たちはアイデアを絵に描いて、簡単な模型まで準備しました。RTV学校の授業には色のついた紙、厚紙、ひも、物差し、ボルト、ナット、ハサミ、のりなどがいつもおいてあります。このため、生徒たちにはアイデアを模型にする習慣が身に付いているのです。生徒たちの案は次のようなものです。まず牧草地に2–3メートルの組み立て式の柱を立てます。柱のてっぺんに多数の麻のロープを結びつけて、放射状に伸ばして、ロープの反対側の端は地面に固定します。ロープと地面との角度はみな同じにならないようにします。牛は粗い麻のロープに身体をこすりつけて、おなかでも背中でも思い思いに掻くことができるわけです。ロープが放射状に張ってあるので、柱が倒れることもありません。
そこで、私たちの同僚の先生の一人(天文学の先生です)がこう言います。
——専門の知識を持っていない中学生に本当の発明ってできるんでしょうか。
他の専門の先生からよくでる質問です。質問した先生は私たちがだから勉強しなくてはいけないんです、と答えると思っていたかもしれません。でも私たちは違う話から始めました。
——一人の男の子が肩にへんてこな装置をつけて水の中に入って泳ぎ始めました。どんどん深く潜ってゆきます。肩に付けた装置から空気が出てくるので息ができたのです。ところが何か故障が起きて空気が流れなくなってしまいました。男の子は海辺で育ったので泳ぎが得意でしたから、それでも、無事に浮き上がって戻ることができました。原注2 しかし、肩の装置は捨ててこなくてはなりませんでした。新しい水中呼吸装置の最初の実験はこうして終わりました。この出来事があったのはアクアラングが発明される2年前の1940年のことです。後に発明問題解決理論をつくり、創造的イメージ開発法コースを始めたゲンリフ・アルトシューラは14歳の時に全く新しい水中呼吸装置を発明して最初の発明者証を受け取ったのです。
——その後はどうなったんですか。
——アルトシューラは身体が大きくて年上に間違われることが多かったので、戦争が始まったときに2歳ごまかして陸軍に志願したんです。ところがやはり嘘が見つかって陸軍でなく航空学校に入れられました。戦闘機乗りになる予定だったんですが、卒業前に戦争が終わってしまいました。その後は夜間大学で特許の専門家として働きました。それと同時に当時は単に「発明法」と呼ばれていたTRIZの研究を始め、さらに十件以上の発明を行ないました。ちなみにこの時はアルトシューラの夜間大学での生徒たちも何十件という発明をしましたが、この中には先生の3倍も年を取った生徒も含まれていました。その後で悲しい出来事が起きてしまいました。
1948年にアルトシューラは学校友達のラファイル・バフターモフと一緒にソ連の大指導者スターリン宛に手紙を書きました。手紙の中で当時の技術開発の体制を批判して、TRIZ原注3の考え方に基づいて大きく変えることを提案したのです。アルトシューラは1950年に逮捕されてしまいました。尋問は1年間続き、取り調べの役人はアルトシューラが政府に反対する活動をしていた、発明の方法も政府の邪魔をするための提案だと認めさせようとしました。スターリン宛の手紙がアルトシューラがソ連に敵対している証拠だと言うのです。
ところが面白いことに、アルトシューラが創り出した発明の方法が尋問に負けないように助けてくれたのです。
——どうしてそうなったの。先を話して……
バスのみんなが一斉に声を上げます。
——一番辛い拷問は眠らせてもらえないことです。尋問は一晩中絶え間なく続けられます。一方で、昼間の間は規則で眠ってはいけないのです。牢屋の中を歩いて廻るか、そうでない時は顔をあげてドアの方を向いて座ってなくてはいけません。看守が覗き込んだ時に目を開けていなくてはいけないのです。アルトシューラをすくってくれたのは、牢屋の中が薄暗かったこと、隣の部屋の囚人が協力してくれたこと、そして発明の方法、この3つでした。アルトシューラは小さな椅子に座って目を閉じているのですが、まぶたには隣の囚人が貼ってくれたタバコの箱の紙にマッチのすすで描いた眼がついています。そして、看守が近づいてくると隣の囚人が部屋の中を歩きながらアルトシューラと「話し」をします。覗き窓から薄暗い部屋を見る看守にはアルトシューラの眼が開いているように見えるというわけです。こうして一日何時間かずつ眠ることができました。こうして眠れなくても負けない奇妙な「患者」への拷問は打ち切られることになりました。
次にやって来たのは冷たい北の土地での収容所暮らしでした。ここでも発明の力がアルトシューラが理性を失わずに生き延びるのを手伝ってくれました。アルトシューラにとってもソ連にとっても幸せなことにおそろしいスターリンは1953年に死んでしまい、悪いことをしなかったのに牢屋に入れられた人たちは少しずつ解放されるようになりました。アルトシューラは解放後、工場の技術者、ジャーナリスト、雑誌の編集をして働いたり、ミステリー小説やSFを書いたりして生活しましたが、発明の理論の研究を中断することはありませんでした。理論の概要が初めて公表されたのは1956年のことです。大変に権威のある『心理学の諸問題』という雑誌に論文が掲載されました。その後『発明家と合理化担当者』などの雑誌や新聞に論文が掲載され、本も数冊出版されています。アルトシューラはその後様々な都市にTRIZ学校を作り始め、弟子や、TRIZ学校の教師が育ってゆきました。アルトシューラは誰に指名されたわけでもありませんがTRIZという大きな運動のリーダーになったのです。原注4
ところで、発明をするために幅広く色々な分野の知識を持っていなくてはならないというのは、言うまでもなく、その通りです。例えば、アルトシューラが水中呼吸装置を作ることができたのは、化学の知識を持っていたからです。図書館でたくさんの本を読み、軍隊の将校や、夜間大学で働いていた時には膨大な数の特許を研究しました。でも、アルトシューラにとってもっとも勉強になったのは収容所にいた時でした。収容所の囚人にはどこの大学よりも多いほど教授や先生がいました。アルトシューラはどんなところにいても、どんな専門分野についてもいつでも勉強したいと思っているたった一人の生徒でした。教授たちの間で誰がいつアルトシューラに教えるのか競争するほどでした。
今度はRTV担当の女の先生が話しを引き継ぎます。
——私は、公園を散歩していた時にアルトシューラがヴェルディーのオペラ「アイーダ」の中のアリアの難しい節回しのところを歌うのを聴きましたよ。驚いて訊ねたら、収容所の2段ベッドのお隣に有名な指揮者がいたんだって言うんです。おかげで、アイーダはほとんど全曲覚えてしまったっていうんです。
——もっと、話して……
しかし、もう到着です。4時間のバスの旅があっという間に終わってしまいました。道路の分かれ道に標識と矢印が立っています。「科学協会サマースクール - 2km」。バスは横道に入って急な上り坂をゆっくりと登ってゆきます。到着です。でも建物の中にはまだ入れません。紙の鎧を着た騎士が入り口の門を守っています。サマースクールの管理人はいつも生徒をこうして出迎えてくれるのです。私たちは事前の協定に従って騎士たちに「友好の誓い」をします。すると、門がゆっくりと開きます。
ここで一ヶ月生活します。素晴らしいところです。木造で平屋の建物でりんご園を前にして大きなベランダが幾つもついています。半円形の屋外舞台、運動場、教室、食堂。食堂は談話室も兼ねていて「ユーレカ」という名前がついています。浜のある湖もすぐそばです。
原注2:アルトシューラ少年ほど泳ぎの上手でない子供がまねをするといけないので、アルトシューラの最初の発明の内容は公表しないことにします。
原注3:当時は単に「発明の方法」と呼ばれていました。
原注4:アルトシューラは1980年代の末に病を得て自らの研究や後進の指導の仕事から離れることになり1998年に亡くなりました。しかし彼が始めた事業は発展・普及し続けました。この本の再版を準備している2012年の今日では、ロシア、USA、ドイツ、フランス、イタリア、日本、韓国、インド、中国その他の国々で何百というTRIZ学校で何万人ものTRIZ専門家やTRIZユーザーを育てています。様々な言語で何百冊もの本が出版され、インターネットには無数のサイトが存在します。グーグルでTRIZという単語を検索するとロシア語で15万件、英語では200万件以上がヒットします。
一日目の夜がやってくるのはいつも早すぎる気がします。メンバーの紹介、インターンの紹介、それからクラス担当のチューターとの顔合わせが終わったのはほんの一時間前です。チューターはサマースクールに欠かせません。チューターは大学の教育学部、医学部、工学部の学生で、生徒たちはサマースクールの間いろいろなことでチューターに助けてもらいます。クラスの歌も、キャンプファイヤーも、スクール・カーニバルもチューターが手伝ってくれるので楽しくなるのです。
何年かすれば生徒たちは様々な専門の道に進みます。化学者は植物のことが判らなくなり、数学に進んだ人はエレクトロニクスについて理解できなくなってしまいます。ですから、相互理解の大切さ、共通の「言語」を見つけだす能力を身につけることが大事です。今年のサマーキャンプでは特にたくさんの仕事があります。授業計画を作ったのは何年も前のことですし、毎日の授業の内容はすっかり準備ができています。でもサマースクールは毎年特別です。多分何か予期せぬ出来事が起きることでしょう。
19世紀は蒸気の世紀と名付けられました。蒸気船によって大陸間の距離が短縮されました。街には工場の煙突が立ち並びました。20世紀は電気の世紀、エレクトロニクスの世紀、サイバネティクスの世紀、航空の世紀、天然痘・小児まひ、結核などの伝染病が克服された世紀と呼ばれました。それでは21世紀にはどんな名前がつけられるでしょうか。
色々なことが考えられますが、21世紀は人々が幸せで、賢く、平和で、豊かで、美しく、様々な芸術が花開き、飢えや病気がなく、寿命が伸び、ひょっとすると人が死ななくても良いようになるそんな世紀になって欲しいと思います。一人一人の人が現在のスーパーコンピュータよりも優れたパソコンを持ち、火星や他の惑星や、他の星にまで飛んでゆくことができるようになるかもしれません。それとも、理性を持った動物やもっともっと他のことが起きるのかもしれません。でも、21世紀のもっとも大きな特徴ってなんでしょうか。
今日から授業が始まります。素晴らしい天気です。外に出て、まるで絵に描いたような野原が見えるクルミ林の中で勉強することにしました。木の間にロープを張って教材の図版や黒板代わりの模造紙を吊るすことにします。生徒たちは草の上に座ります。世紀の名前は森まで歩く間のウォーミングアップ、頭の体操です。今日の授業のテーマは「創造はどこから生まれるのか」です。
世界中では1分ごとに数個の発明が行なわれているといいます。他にも、基礎科学、芸術、医療、スポーツその他あらゆる生活分野で新しいアイデアが生まれています。こうしたアイデアはどこから出てくるのでしょうか。
18世紀の技術者、ジェームス・ワットはトーマス・ニューコメンが作った蒸気機関の構造を改良するために何ヶ月もかけていろいろ試みました。ニューコメンの蒸気機関の構造は単純です。石炭が燃える炉、中でお湯が熱せられているボイラー、鋼鉄製のシリンダーがあって中ではピストンが動いています。ボイラーの水は沸騰していて、できた蒸気はシリンダーに送られて、中のピストンを押し上げます。次にシリンダーの中に冷たい水を吹き出すと、蒸気が水に戻って圧力が下がります。すると大気の圧力でピストンが押し下げられます。この動きがピストンに連結されたポンプに伝わって、ポンプが動くと地下の炭坑の湧き水が地上に押し上げられます。簡単ですね。でもこの蒸気機関はとても効率が悪いのです。シリンダーの中に冷たい水を吹き出すのでシリンダーが冷たくなってしまいますからもう一度暖め直さなくてはなりません。このため、この蒸気機関は一分間に一回しか動きません。燃料もたくさん使います。ワットはこの欠陥を改良しようとしましたがどうしてもうまくゆきません。ある日洗濯屋の側を歩いている時にドアからもうもうと蒸気が吹き出し、その場で小さな水滴に変わっているのを見ました。そして、突然気づきました。蒸気をシリンダーから外に出して、別の場所、復水器で冷やせば良いのです。そうすればシリンダーは熱いままですから、蒸気機関は早く効率よく仕事をしてくれることになります。蒸気機関はこのようにして作られて産業革命が始まるきっかけとなったのです。
今から約50年前にゲンリフ・アリトフは「ロバと公理」という短編小説で次のように書きました:
「興味深い考え方を発見した。全ての機械を人間の力、私たちのために働いてくれる架空の奴隷に換算するのだ。1キロワットが屈強な奴隷10人に相当することにする。まあ、簡単な算術だ。
18世紀末の悲しい数字から始める。ほとんどゼロと違わないくらいだ。そこからどうなったか見てみよう。百年ほどの間は、苛々するほどほとんど変化が感じられないゆっくりした成長が続く、それから上昇が始まり、こう配がどんどん急になってゆく。第二次世界大戦の後はまるで垂直飛行のような上昇だ(人口一人当たり何十人何百人の奴隷が働いている計算になる)。そして、最後は今年だ。我々一人一人はローマ時代の元老院議員よりも金持ちになってしまった。」
電線や、ガスや石油の供給、自動車や飛行機という形で私たち1人について千人の奴隷が働いてくれていることになります。それに、今日ではアリトフが「ロバ」の短編小説を書いた時にはいないのも同じだった賢い奴隷がいます。コンピュータやインターネット、気の利いた電話機、ゲーム機の中に隠れていて、個人的な先生、お医者さん、図書館の司書、ガイド、ゲームの遊び相手の役割を果たしてくれ、文章を書いたり、絵を描いたりするのを手伝ってくれて、計算もしてくれる、まだまだ色々なことをしてくれます。
ダムをつくるために自動ダンプ式のバージ船が使われています。このバージ船は両側の舷側に沿ってタンクがついています。バージ船に積んだ砂利や砂を水中に落とす時には片方の側のタンクについている弁を開けます。するとタンクに水が入って重くなるのでバージ船はそちらの側に大きく傾いて横転します。その時に積んでいる砂利や砂も水の中に落ちてゆきます。するとバージ船は軽くなり、船の下についている大きなキール(竜骨)の重さでもとの姿勢に戻ります。しかし、エジプトのアスワンダムを造った時には非常に大きなバージ船が必要になりました。この大きいバージ船を横転させてからもとの姿勢に戻すためには、大変大きくて重たいキールが必要です。せっかく大きいバージ船を作っても自分のキールが重たいために運べる砂や砂利の量が少なくなってしまいます。どうしたら良いでしょうか。
——キールを重たい鉛で作れば大きさは小さくできるよ。
——それなら「金のキール」にしても同じだ。鉛だって値段が高いんだよ。キールの代わりにエンジンを付けてエンジンの力でバージ船を回転させたらどうだい。
——港の中で船を引っ張るタグボートの力を借りてひっくり返したら。
——ロープを使って陸地から引っ張るのはどうかな。移動式のクレーンを使ってバージ船とつないでひっくり返すんだ。
——バージ船をひっくり返さなくてもいいんじゃない。船の底にドアを付けておいて開けたら砂利は落ちてゆく仕掛け。
——キールを取り外し式にしてバージ船を元に戻す時にだけ取り付けたらいいじゃない。
新入生たちはがんばって色々発言しますが、シニアの眼から見ると混乱しているように見えます。「僕たちもこんな風に支離滅裂に叫んでいたのかなあ。やっぱり、僕たちの方がましだったよな……」そんなことはありません。TRIZを知らない人たちに発明問題の解決に取り組んでもらうと、その人たちが技術者でも、学者でも、いつでも同じことになるのです。筋道無しに、考えついた色々な解決策について行き当たりばったりのアイデアを並べるのです。「これはどう。いや、あれは。こうすれば……」という具合です。このやり方は試行錯誤法と呼ばれています。古い昔から使われている方法で、つい最近まではこれしかない新しいことを見つけるためのただ1つの方法だったのです。
休み時間です。子供たちは野原に散らばってゆきます。回りにたくさん落ちているのに、リンゴを取ろうと木に登る生徒もいます。といっても問題の解決策探しは続いています。あちこちで「こうしたら……」と話しているのが聞こえます。
休み時間のあとはインターンが模擬裁判の準備を始めます。裁判長と2人の助手が裁判官席に着きます。新入生のターニャ、それにミーシャとジーマです。裁判官は重々しい様子でマントを身につけ、四角いビロードの帽子をかぶっています。裁判長の前の分厚い本が開かれています。裁判長が重々しく宣言します:
——ただいまより、科学、技術、芸術、文学その他における功労者、市民「試行錯誤法」を原告として、「創造性開発クラス (RTV)」を被告とする、被告が本クラスの授業中に常々、原告の非の打ち所のない評判に対して中傷攻撃や根拠のない非難を繰り返していることについての訴訟の審判を始めます。原告は被告によって与えられた精神的苦痛に対する補償として、RTVを永久的に閉鎖するとともに、先生を含む全てのRTVのメンバーを調理場と食堂における社会的奉仕活動に強制的に従事させることを求めています。
——同時に、「RTV」を原告とし市民「試行錯誤法」を被告とする反訴の審判も行ないます。被告は計算不可能な膨大な規模で人類の時間と資金を悪質に浪費し、結果として、直接、間接に何百万人という人々の犠牲をもたらした人道に対する罪で告発されています。RTV側は、よって、被告は最高刑に値し、完全・永久的忘却の刑に処すべきとしています。
——双方の代表は着席して下さい。
RTVの利害を代表するのはシニアのグループのイーゴリです。イーゴリは自分の専門について説明できるので大喜びです。試行錯誤法の側はもう一人のシニアのボーリャが弁護士となります。本当はボーリャもRTVを弁護したいのですが、役割なので試行錯誤法を担当します。やるからには本気です。
そのボーリャから始めます:
——気高き法廷にお集りの皆さん。残念ながら、私の依頼人はRTVによる言語道断なる攻撃に対して自ら反論することができません。依頼人は人々が新しい発見を行なうのを助けて24時間連続して勤務しているためです。そこで、依頼人の人類に対する貢献について簡単に触れることが私の義務だと思います。
さて、何十万年も以前、人類の祖先が一本の棒を取り上げましたが重いと感じました。違う棒を取ると今度は軽すぎます。その時代の批判は現在よりもはるかに厳しい形で行なわれました。間違った選択をした場合には食べられてしまうかもしれなかったのです。当時の過酷で危険に満ちた生活を助けてくれたのは誰でしょうか。尊敬するRTVの皆さんはその時どこにいたのでしょうか。
人類を助けるために登場したのは偉大なる創造者である試行錯誤法です。試行錯誤法の助けを得たおかげで、先ほど触れた最初の試行からたったの数千年の後には人類は最高で、一番使いやすいこん棒を手にすることができました。試行錯誤法は人類が火を手に入れること、石器を加工すること、野獣を飼いならすこと、作物を育てること、家や船を造ることを助けました。試行し、失敗し、また試行することを通じて人類自身も進化しました。試行錯誤法は無数の人々に創造すること、大胆に考えることを教え、人類の比類なき能力を開発して、避けることのできない失敗や困難を克服させたのです。試行錯誤法に向かって手を上げることは、自分を育ててくれたもの、恩人を侮辱することにあたります。このようなことが許されてはなりません。
ボーリャの言ったことは裁判官に強い印象を与えました。相手をするイーゴリの仕事は楽ではなさそうです。でも、うまいやり方を見つけました。試行錯誤法の弁護士に次の素直な疑問を投げかけたのです:
——あなたのお考えをお聞かせください。バージ船のキールについての問題で試行錯誤法が生徒たちを助けてくれなかったのはなぜでしょうか。
——色々なことを試行する必要があります。もっとたくさん試行しなくてはなりません。
——失敗も、もっとたくさんしなくてはいけないのでしょうか。
イーゴリが皮肉タップリに質問します。
——失敗もたくさんする必要があります。
——TRIZは別のやり方を提案しています。まず、バージ船のための理想的なキールはどんなものか考えなくてはいけないのです。
イーゴリは少し先走りしすぎているようです。「理想性」についてはもう少し後で勉強する予定なのです。でも、イーゴリの邪魔をするのはやめておきましょう。
イーゴリの説明です:
——TRIZでは理想的な機械とは次のような機械です。つまり、機械は無い(つまり、場所をとらない、お金がかからない、誰の邪魔にもならない、燃料がいらない)けれど、機械のする仕事はできてしまう、そういうものを指します。ですから、理想的なキールというのは鉄の鋳物でも、鉛でできているキールでもありません。だったら何がひっくり返ったバージ船を元の位置に戻してくれるのでしょうか。何か特別の機械を使ったりはしません。そうではなくて、もうそこにあるもの、お金のぜんぜんかからないものです。
——水? 水だ!! そうだよ、水をキールにすれば良いんだ。キールの代わりに、水が入る大きな入れ物を作ればいいんだ。バージ船が水に大きく沈んでいるときは入れ物の中は水で一杯だけど、水に沈んでいるのだから重さはないのと同じだ。だけどバージ船が横転するとキールの代わりの入れ物の部分は空中に上がるから中の水が重りになるんだ。それで、バージ船が元に戻る。
新入生は大喜びで声を上げます。裁判長や助手も澄ましていられません。だって、みんなで発明問題を初めて解決したんですから仕方がありません。そこで、ボーリャがもう一度発言して一同の注目を集めます。
——しかし、バージ船の問題を実際に解決した発明家は試行錯誤法に助けてもらったのに違いありません。
ボーリャはイーゴリの仕掛けた「罠」にはまってしまいました(私たち、先生にはイーゴリがこの問題を最初の問題にして欲しいと頼んだ理由が分かりました)。事実は、本当にボーリャの言う通りでした。この問題を解決した発明家は長いこと解決策を探していました。この方法を発見したのは、ある日、プールで泳いでいるときでした。水の中にポリ袋を落としてしまい、潜って拾い上げようとした際に、ポリ袋の中には水が一杯でしたが水の中にあるうちは全く重さは感じませんでした。ところが、水から引き上げたとたんに重くなったのです。ここで、イーゴリが聴衆に圧力をかけます。
——考えてください。水が水の中では重量を持たないことを観測するために、アルキメデスが原理を発見してから2千年も経って、もう一度水に潜らなくてはならなかったのです。ところが、裁判官の皆さんは「理想性」というTRIZの簡単なルールを1つ使っただけで数分のうちにこの問題の解決策を自分で発見しました。ところで、皆さんは実際の発明家がこの解決策を発見するために試行錯誤法に助けてもらってどれほどの期間悩んだとお思いでしょうか。
——1週間!
——1ヶ月!
——2ヶ月!
ここでイーゴリが重々しく答えます。
——1年間です! この問題はまるまる1年の間というもの解決できず、ダムの仕事がストップしてしまったのです。
農業が始まったのは約6000年以前です。そのほとんどの期間人々は農地を耕すために牛を使ってきました。角にロープを結んで鋤や鍬を曳かせたのです。馬には角がありません。このため首にロープを巻いて曳かせました。しかし重たい鋤を曳くことはできません。曳かせれば息が詰まってしまったでしょう。誰かがくびき——馬の首の回りに付ける半円形の木の輪でこれを馬の肩に取り付けます——を発明したのはほんの1500年前のことでしかありません。馬はそれまでの馬具に比べて6倍の力で鋤を曳くことができるようになりました。これによって食料が確保されることになり、農業全体、そして、人々の生活そのものがすべて変わることになったのです。この新しい馬具をもう千年早く発明することはできないことだったのでしょうか。
一方、ジェームス・ワットの場合はどうでしょうか。ワットが抱えていた問題は典型的な「矛盾」の問題です。シリンダーは、蒸気が力強く膨張するためには高温でなくてはなりません、他方で、蒸気が水に戻るためには冷たくなくてはなりません(イーゴリはすっかり羽目を外して、TRIZのもう1つの大切な考え方「矛盾」を持ち出してしまいました)。この問題は、矛盾を空間で分離することによって簡単に解決することができます。実際に、ワットは矛盾を空間で分離することをやったのです。ニューコメンの蒸気機関が作られたのは1712年ですが、ワットによる改良は1765年です。50年以上かかってしまいました。また、ワット自身もどれくらいの時間を無駄に費やしてしまったことでしょうか。
ここのところで、イーゴリはちょっとミスをしてしまいました。ボーリャはミスを見逃さず、すかさず発言します:
——裁判官のみなさん、ご注目ください。RTVの弁護人は私の依頼人だけでなく、簡単な解決策を何年間も発見できなかった愚か者だと言って、過去の秀でた偉人たちも侮辱しているのです。
イーゴリもあわてません:
——その件についてRTV側の証人として先生に喚問したいと思います。
先生が両手を上げて質問します:
——指は何本ありますか?
——10本。
——手が10本だったら?
——100本。
シニアのグループがケラケラと笑います。新入生も考え直して一緒に笑い出します:
——50本だよ、50本にきまってるよ。
先生がみんなを引っかけたんだけど、これって、学者の言葉では「心理的惰性」っていうのを利用したんです。「心理的惰性」というのは人は誰でも「いつもと変わらない、どれも同じだ」と考えるクセがあることを指します。そのクセはそれ自身が悪いわけではありません。たとえば、靴ひもを結ぶ度に新しい結び方をしなくてはならなかったり、新しい機械を作る度に今までと違うボルトやナットを設計しなければならないなんて大変ですよね。でも、新しいことを考える時には心理的惰性がおそろしい敵になるのです。
ジーマがタイミング良く発言します。
——でも、たくさん、たくさん試してみれば、最後には良い解決策が見つかるんじゃないかな。
発明理論で確認されていることですが、発明と言っても色々あります。解決策を見つけるために、10とか20とか試してみれば十分な簡単な発明もあります。その一方では、何十万もの可能性を検討する必要のある高度な発明もあります。
発明問題に取り組む時には誰もが始めは心理的惰性に導かれて自分が経験したことのある方向で解決策を探そうとします。問題が簡単なときにはすぐに満足のゆく解決策が見つかるでしょう。しかし、難しい問題と取り組むには心理的惰性を克服することが欠かせません。トーマス・エジソンはアルカリ電池を開発しようとして5万回の実験をしました。電球のフィラメントに最適な素材を発見するためには1万回の実験が必要でした。彼は慣れ親しんだ、経験のあるやりかたで原子力機関を開発しようとしました。しかし成功しませんでした。現在私たちはエジソンは成功するはずがなかったのだとはっきりということができます。原子力エネルギーが利用できるようになるには、ウランの原子核の崩壊が発見され、同位体を抽出する複雑な装置など様々な発明が行なわれることが欠かせなかったのです。
昔の人たちにとって新しいものを創り出すことは簡単ではありませんでした。強い信念、永年の労苦、困難や犠牲までもをも受け入れる心構え、試行錯誤法に発明を助けてもらった代償として人類はこれら全てを支払わなくてはならなかったのです。
古代ギリシアの英雄はマラトンの野からアテネまでの40数キロを走り抜いて意識を失って倒れました。現在の走者は同じ距離を約2時間で走ります。私たちは特に訓練をしなくても自動車に乗ればこの距離を30分ほどで移動することができます。だからといって、古代ギリシアの英雄や、マラソンランナーの偉大さを損なうことになるでしょうか。今日だったらもちろんワットが解決した問題をずっと早く、ずっと簡単に解決することができるでしょう。しかし、ワットがその問題を解決したのは現代のことではありません。偉大なニュートンはこう言っています。「私が遠くまで見ることができるとしたら、それは、私が巨人たちの肩の上に立っているからだ。」
私たちはみな過去の偉大な人々の肩の上に立って、彼らが試行錯誤法以外に使える方法を何も持たずに、どうしてあれほどのことをなし遂げられたのかと驚くばかりです。
気がつくと4時間の授業時間が終わっていました。キャンプに戻って21世紀の名前を決めていなかったことを思い出しました。しかし、答えは出てしまっています。「創造」です。創造性がなければ宇宙飛行はできなかったし、天然痘の根絶もできなかったのです。ですから21世紀は「創造の世紀」なのです。
1日目の授業は一番大切です。主な目標はみんなを惹き付けることです。RTVクラスに参加登録をした子供たちはどんな授業になるのか、まったくイメージを持っていません。サマースクールは民主主義が原則ですから、授業が気に入らなければ他のクラスに移っても良いのです。目標を実現することを手伝ってくれるのはRTVクラスのテーマそのものです。私たちは創造性を学ぼうとしているのですから、授業そのものが創造的で楽しくなくてはなりません。私たちはクラスの秩序を守るために「立っていなさい! 出てゆきなさい! サマースクールから帰るときにはお父さんかお母さんに付き添ってもらいなさい!」といった通常のやり方は使いません。唯一の手段は「関心」です。TRIZの教師は通常の会話と同じ調子で話し、常に生徒たちの方を向いて、一番消極的な子供を話しに巻き込むようにして授業を進めます。学校で普通にやる問題と違う、変わった問題に取り組むのは、子供たちが大好きなことですから、これは難しいことではありません。
非常に大切なことは、ゲームの要素を使って、始めから生徒たちに「負荷をかける」ことです。今日、試行錯誤法について裁判の形で授業をしたのも悪くないと思います。設定や「演出」は教師である私たちも大いに援助しましたが、インターンが中心となって行ないました。第1日のもう1つの目標は、子供たちに解決策の探し方を見せてあげることです。試行錯誤法というものについて、難しい問題を解こうとする時には試行錯誤法は効率が悪いことについて、生徒たちに教えることです。もちろん、実際の授業では試行錯誤法が役に立たないケースや、試行錯誤法が害になるケースについて、上に書かれたのよりもっと多くの例を紹介しました。子供たちは遠からず「こうだったらどう!」とか、「ああしてみたら!」と騒ぎ立てるのではなく、新しい発見をするためのもっと賢明な技術があることを理解します。選択肢を当てもなく並び立てることに対する本当の免疫を作ってくれるのは、この技術を使いこなせるようになることなのです。とはいえ、これはまだ先のことです。
今日の昼食後は教室作りの続きです。我らが根城の装飾をしました。あとでクラス対抗の教室コンクールがあるのです。教室に教材のポスターを吊るします。ポスターには面白い絵で発明理論の基礎が説明されています。心理学の本には、人は自分でやったことの90%、見たことの50%を記憶するのに、聞いたことは10%しか記憶しないと書いてあります。ポスターが多いのはこのためです。
寝室の装飾は私たちが持って来た絵の複製を使いました。男の子はエッシャーの版画を選びました。女の子たちはチェコスロヴァキアの写真家ヤン・ピコウスの静物写真です。リトアニアの天才画家ミカロユス・チュルリョーニスの複製画集は両方の寝室に半分ずつ吊るすことにしました。複製や写真は絵画における発明の授業のために持ってきたのですが、その授業は生徒たちの寝室で行なうことにします。
就寝時間になっても寝室で議論する声は中々止みません。生徒たちは1日目の授業に強く刺激を受けたようです。明日の授業はどうなるでしょうか。
林の中での裁判の続きです。裁判官になっている試行錯誤法を新入生は新しい世紀にまで持ってゆくのかどうか、決めなくてはなりません。それが、裁判の判決になります。
まずボーリャが話し始めます。
——私の依頼人試行錯誤法は心理的惰性の陰謀によって強い悪影響を受けておりますが、依頼人を博物館送りにするのは早計です。学者が発明をする人の心理を研究して、心理的惰性に対処する方策を探しています。すでに発見されているものもあります。
ここでボーリャが先生の方を見ます。そこで、先生が助け舟を出します。
重たい部品をドリル盤、フライス盤などの工作機械のテーブル{加工する部品を固定する台}の上にのせる方法。
先生が提案します。
——この問題の解決策は「ブレーン・ストーミング」を使ってやろうと思います。みんな頭に浮かんだアイデアを何でもいいですから提案して下さい。へんてこなアイデアだったり、バカバカしいアイデアでもいいんです。他の人のアイデアを笑ったり、批判したりしてはいけません。逆にお互いに他の人のアイデアを手助けしたり、そのアイデアをさらに発展させるようにしてください。忘れないで下さい。制限は一切ありません。どんなアイデアでも、ひどくおかしなアイデアや、空想的なアイデアでもいいんです。
少し時間をおいて、大騒ぎが始まります。
——クレーンで
——反重力
——フォークリフト
——トラッククレーン
——工場の中にトラッククレーンは入れないよ!
先生が口をはさみます。
——今、他の人の言ったこと批判した人はだれかな? この工場にはなんでもあると考えてください。
——自動車のジャッキを使う
——ウインチを使おう。天井から滑車をつり下げるんだ。
——工作機械そのものをウインチにしたら。シャフトに丸い輪を付けてそこにロープを結びつけておく。スイッチを入れると輪が廻ってロープを巻いてロープにつないだ部品が引き上げられるんだ。
——部品に気球を結びつけて自分で浮かび上がるようにする
——圧搾空気で持ち上げる
——エアクッション使う
アイデアが15個くらい出るとみんなおとなしくなってしまいました。火に油を注いでやる必要がありそうです。
——まだアイデアの数が少ないよ。部品を持ち上げないとしたら?
——手で持つタイプの工具でそのまま加工する
——部品を持ち上げるんじゃなくて、工作機械の方を下げたらどう
——工作機械を小さくして大きな部品にくっつける
——自走式工作機械にして、工作機械が部品のところに行って加工したら、別のところへいく
——山に登るエキスカベータみたいにする
また、発言がとぎれます。先生は生徒を順番に指名して、少なくとも1つはアイデアを出してもらうことにします。何か思いつくのがだんだん難しくなります。一方、でてくるアイデアはだんだん奇抜になっていきます。
——歯医者さんの機械みたいに、工作機械から離れたところで加工するようにする
——工作機械が機関銃みたいに削る工具を打ち出して部品を加工する
批判をしてはいけないことになっていますが。機械がドリルを打ち出す姿を創造して、みんなが笑い出します。ところが、誰かが気づきます。これは、ブラスト加工と同じです。
生徒たちは大喜びです。これまでにも、面白いアイデアが幾つか出されました。新入生はもの問いたげなそぶりで先生の私たちに眼を向けます。「これでいいのかな。みんなでワアワアやって発明ができちゃったけど。」
ブレーンストーミング法が登場した当初は大きな期待が持たれました。この方法によって心理的惰性が克服されることが多いからです。個人ごとの心理的惰性のありかたはその人の専門が何かということに大きく影響を受けるためです。仮に、お医者さんがかかえている問題を解くためにエレクトロニクス分野の知識が必要だとすると、そのお医者さんに問題を解決できる可能性は小さいと思われます。しかし、お医者さんとエレクトロニクス分野の技術者とが協力することになったらどうでしょうか。解決策を発見できる可能性がずっと大きくなるでしょう。つまり、新しいものを探す時にはグループでやると、様々な専門ごとの心理的惰性を「おたがいに打ち消し合う」ことができるのです。それだけではありません。ある人々はアイデアを発見することが得意ですが(こういった人たちを「発散思考タイプ」といいます)、分析をすることや批判をすることが得意な人たちもいます(この人たちを「収束思考タイプ」といいます)。批判をおそれる心は心理的惰性を助けます。「発散思考」でアイデアを出す時には批判は厳禁です。批判が許される、というより必要になるのはアイデアがたくさん揃ってからのことです。
穀物の刈り入れはタイミングが重要ですから、天候の悪い日に刈り取らなくてはならない場合もあります。穀物の穂が濡れてしまうと脱穀——穂の中から穀物の粒を取り出すこと——が大変難しくなります。濡れた穂を乾かすには大量のエネルギーを使わなくてはなりません。他方で、自然に乾くのを待ったのでは時間がむだになり、その間に穀物の質が劣化してしまいます。どうしたらよいでしょうか。
生徒たちは一斉にこの問題の解決策の検討を始めます。私たちは生徒を「発散思考タイプ」と「収束思考タイプ」にグループ分けすることはしません。この年齢の子供たちはみな「発散思考タイプ」だからです。色々なアイデアが出されます。生真面目なアイデアも冗談のようなアイデアもありますが優れたアイデアは出てきません。そして、ブレーンストーミングが止まってしまいます。
この問題は、しばらく前に「何を? いつ? どこで?」というテレビ番組に出演した物知りの人たちに出された問題です。この人たちはブレーストーミングのようなやり方でいつもは簡単な問題を上手に解決してみせるのですが、この問題についてはお手上げで、解決策を見つけだすことをあきらめてしまいました。理由はこういうことです。ブレーンストーミングは選択肢となるアイデアを数十個か数百個出せば良い解決策が見つかる程度の比較的簡単な問題の場合には役に立ちます。しかし、一千ものアイデアが必要となるような難しい問題の場合ブレーンストーミングは効果的ではありません。もちろん、ブレーンストーミングの本質は試行錯誤法と同じで、アイデアを出しては、失敗を重ねる方法ですから、驚くことはありません。それでは、闇雲に選択肢を並べてその中から良いものを取り出すやり方でない、新しい別の方法は見つかるのでしょうか。
イタリアの古い都市ピサは13世紀のヨーロッパでもっとも進んだ都市の1つでした。最高の技術である「割り算」が行なわれていたのはここだけでした。もちろん、だれもが割り算をできるわけではありません。割り算を成功させるには、優れた能力と、大きな忍耐が必要とされたのです。
すると新入生が大声で言います。
——そんなの変だよ。小学校の3年生だったらだれだって割り算できるよ。
すると、先生は黒板に次のように書きます。
DCCCLXXXVIII ÷ VIII = CXI原注5
——どうしようもないね。ローマ数字には桁がないんだから割り算もかけ算もできないよ。
——というわけで、大体の答えを当てるだけでも偉大な技術と見なされていたのです。どういう場合に割り切れるかについてたくさんのことを身につけなくてはなりませんでしたが、何よりも大切なのは訓練を重ねることでした。若い頃から学校に通っても卒業できるのは中年になってからでした。それでも、何度も何度も計算を繰り返すことになります。ローマ数字は割り算ができないだけでなく、かけ算もできないのですから、何度も何度も足してゆくしかありません。計算間違いをしがちですが、そうして、一歩一歩正解に近づいてゆくのです。その語、アラビア数字が現れて、割り算とかけ算のルールも登場します。こうして算術では試行錯誤法の必要がなくなったのです。15世紀になると、だれが先に正しい根を推定するか二次元方程式のコンクールが開かれるようになります。しかし……
すると、生徒たちが声を上げます。
——根の公式が発見されたんだ。それで、二次元方程式でも試行錯誤法がなくなったんだ。
あらゆる科学、技術分野で同じようなことが起きています。安全な船舶が作られるようになるまでには無数の船が遭難しました。しかし、今日では船が海を渡れるかどうかの確認を試行錯誤法を使ってするひとはいません。たくさんの失敗から、流体力学、材料力学、剛体力学や安定性理論などの科学が生まれ、試行錯誤法は科学によって排除され無用なテストは不必要になったのです。同じことはどこでも起きています。
しかし試行錯誤法は自分の持ち場を明け渡す前に死にものぐるいの抵抗をします。新しいものを生み出した人々を魔法使いだとまで言って誹謗し、彼らが生み出したものを全部壊してしまうことさえあります。19世紀後半にイギリス海軍の首脳部はあらゆる科学的な計算を無視して蒸気機関をもった軍艦に大きな帆を付けて建造することを決定しました。この船は安定性を欠いていたため、試験航海の際にちょっとした突風が吹いただけで転覆してしまい、550人の乗組員のうち生き残ったのは17人に過ぎませんでした。この事故による死者のためにロンドンのセントポール寺院の壁に埋め込まれた記念碑には「良識を無視した決定」が行なわれたことを断罪する軍法会議の判断が記されています。
試行錯誤法の犠牲者の数を数えることさえできません。試行錯誤はその分野で科学が出現して初めて辞めることができるのです。今日は試行錯誤法が殿様顔をしている分野は創造に関わる分野に限られています。ですから、創造を可能にする科学が求められているのです。
私たちは生徒にこう語りかけます。
——新しいものを生み出すことについての科学って、何から始まると思う? みなさんだったら、どんなことからこの科学をつくる作業を始める? 考えて下さい。
——色々な発明家と話してみなくてはならないな。どうやって発明したのか話してもらうんだ。
——そうじゃなくって、発明する人がどうやって発明するのか観察する方が良いよ。
——新しいものに思いつく時に脳がどのように働いているのか研究しなくちゃ。
みんな正しいように思われます。発明に関連する心理は実際に上のようにして研究されました。しかし何十年もの間新しいものを創り出すことに関連する規則や公式が見つからないばかりか、実際に適用して役に立つような結果は何も得られなかったのです。しかし、創造的な人々を研究するのでないとしたら何を研究したら良いのでしょうか。
反復されることのない創造的な一瞬の「ひらめき」を捉え、発明家の頭に突然どこからか未来の機械の姿が現れる時に彼の脳の中で何が起きているのか観察するのは難しいことです。しかし、実際に作られた機械は、今日現実の物体としてここにあって、昨日その機械が生み出されるまではどの様なものが作られていて、また、十年以前にはどんなものだったのか私たちは見ることができます。私たちは発明家が偶然に助けられたという話しを何度も読んだり聴いたりしてきました。
しかし、発明は本当に偶然のものだったでしょうか?
——電話を発明したのはだれですか?
物知りのジェーニャが直ぐに答えてくれます。
——アレクサンダー・グラハム・ベル。1876年。
——それじゃあ、もしベルが子供の時に死んでしまったとしたら、電話は今もないのかな? 配達屋さんに頼んでメモを交換するのかな?
——そうじゃなくて、やっぱり電話はあるんじゃないかな。電話がないなんて考えられない。
——それだったら、電話の発明は何年ぐらい遅れたかな?
——1年!
——10年! というか、分からないよ!
ところが、分かるんです。遅れはたったの30分です。30分遅れでもう一人の発明家イライシャ・グレイが電話の特許の申請を出していたのです。さらに1年後までに当時の有名な発明家が10人も出てきて自分が電話を発明したと主張して訴訟を起こしたのです。実際のところは、電気についてそれまでに行なわれてきた幾つかの発明の結果、電話が作られるのは当然で避けられないことになっていたのです。
発明や、新しいアイデアが生まれるのは偶然のことではありません。発明がなされるのはむしろ法則的なことなのです。その法則を明らかにすることは可能ですし、今ある機械を改良するために、あるいは発明を行なうために意識的に利用することもできるのです。例えば、自動車の博物館に行ってみましょう。展示物を一台一台順に見て、自動車がどのように変わってきたのか、機械がどのように改良されてきたのか、その改良はどんな問題があって、それをどうやって解決した結果なのか知ることができます。それから飛行機、火器、工作機械、医療機器などの博物館にも行ってみましょう。すると、こうしたものが発展してきた過程でも同じような問題が起きて、それを解決したやり方にも共通点があることが分かります。色々な博物館がありますが、その中で1つだけ他と違う、すべてのものがある博物館があります。それは、3500万件以上の発明についての情報を集めた世界の特許データベースです。
発明の理論は特許データベースで多数の発明を分析することから始まったのです。
もちろん、法則性、規則性、定石といったものを明らかにするのは簡単ではありません。座ったままで推測を続ける方が簡単です。でも、そうしてしまうとどうなるでしょう。特許の分析よりも賑やかにブレーンストーミングをする方が楽しいですよね。しかし、沈んでしまった軍艦の建造を許可した人たちも同じように考えたのではないでしょうか?
・・・
授業はお昼まで続き、昼食後の休み時間には「何を? いつ? どこで?」のコンクールのための準備をしました。コンクールは夕食まで続き、私たちは他のコースの先生たちと一緒に審判をしました。
生徒たちは、私たちがコンクールの様子に満足していないことを敏感に感じ取っていました。何故でしょう。生徒たちの様子はテレビ番組で既に見たことと全く同じだったからです。みんなが考え込む、お互いに考えたことを発表し合う、うまく行きそうなアイデア、駄目なアイデア、そして休憩時間に音楽が流れる。参加者があからさまに知識をひけらかす様子や、無秩序で、創造性を欠いた考えを発表するのを聴かされるのは気の滅入る思いでした。
そこで、次のように質問を投げかけます。
——良い解決策を得るためには何が必要でしょうか?
——たくさんの知識
——記憶力
——それじゃあ、ソ連大百科事典を丸暗記した人が理想的な知恵を持った人ということになっちゃうよ。
先生の一人が口をはさみます。
——それに、とんちが働くこと。
「丸暗記屋」が理想的だなんてだれも認めたくありません。
——とんちが働くのは役に立つね。でも、残念だけど、とんちと創造性とは違うものじゃない?
——それじゃあ創造性って何なの?
と聞いたのは新入生のジーマです。しかし、私たち先生が返事をする必要はありませんでした。シニアの生徒たちが我先に次のように説明し始めたからです。創造的で、新しいことを見つけだすのに必要なのは知識だけではなく、イメージを想像する力が豊かなことです。知識がたくさんある人は決まって多すぎる知識に想像する力が押しつぶされてしまいます。それに、必要なのは誰がたくさん知っているかという競争でなくて、誰が上手に考えることができるかの競争なのです。
でも、ジーマも負けていません。
——たくさんものを知っている人だって考えるよ。そういう人にだって少しは考える時があるもの。
——少し考えるだけでは足りないよ。それに、知識のある人は考えるやり方が間違っているんだ。
——正しい考え方ってどういうこと?
ここで、私たちもシニアの生徒を応援して、物知りの人たちが解決できなかった湿った穀物を脱穀する問題をみんなに思い出してもらいます。この問題は私たちの授業でも新入生は解くことができませんでした。答えはシニアの生徒も知らないのですが、新入生が考えている間は口を出さないように私たちがシニアの生徒に頼んでおきました。今度はシニアの生徒にこの問題と取り組んでもらいましょう。
まずイーゴリが話し始めます。
——この問題は物質場分析の問題だよ。
——2つの物質があるね。穀物と湿気だ。
——でも、エネルギーの場がないね。エネルギーを使わなくちゃ。
——電気は?
——だめだね。穀物が湿気を帯びているから使えないよ。
——磁気も駄目だね。穀物は非磁性体だから。
——熱、温度は?
——でも条件にあるじゃない、加熱はだめだよ、エネルギーをたくさん使うから。
——加熱に限らないよ。冷やすのはどう?
——そうだ。凍らせるんだ! 湿気が氷に変わって、もみがもろくなるから剥がれ落ちる!
生徒たちが問題をうまく解決するのを見ているのは楽しいものです。この子たちは丸暗記の物知りが発見することのできなかった解決策をほんの1分間で見つけたのです。とはいえ、私たちの喜びは新入生には伝わりません。彼らには「物質場分析」なんていう言葉は何のことか分かりませんし、見つかった解決策もおかしな方法のように思われました。でも、大切なのは解決策にたどり着いたということです。
また、ジーマが発言します。
——新しいコンクールをやろうよ。質問をするんじゃなくて、問題を解くんだ。答えを思い出すんじゃなくて、解決策を考えだすコンクール!
初めの会合で、自分は技術は向いていないし、絵が好きなので芸術学校に通っていると言っていたターニャが心配して言います。
——そうすると、問題は全部技術か科学の問題になっちゃうでしょ。そうしたら、つまらないと思う人もいるよ。
しかし、シニアの生徒がすぐに口をはさんで、芸術の分野にも技術と同じくらい発明問題がたくさんあるから大丈夫と説明します。
私たちは、たき火が燃え尽きるまで話しを続けて、新しいコンクールの条件や、一番大切なコンクールの名前を考えて「創造性の騎士のトーナメント」と名付けることにしました。
原注5:888 ÷ 8 = 111。
今日は思考を活性化させる方法の1つブレーンストーミングを紹介しました。ブレーンストーミングはアメリカの心理学者で広告の専門家アレックス・オズボーンによって1950年代に提唱されました。ブレーンストーミングを使った問題解決プロセスには2つのステップがあります。第1のステップでは「発散思考タイプ」の人たちが、出てきたアイデアを批判しないという条件付きで、自由に話しながら解決策のアイデアを探します。ついで第2のステップでは「収束思考タイプ」の人たちあるいは「発散思考タイプ」の人たち自身が出てきたアイデアを分析します。
ブレーンストーミングには幾つかの種類があります。もっとも有効性が高いのは1960年代にウイリアム・ゴードンによって作られた「シネクティクス」法です。このストーミングは心理的惰性を克服する方法を学んだ専門的な「シネクター」によって行なわれます。シネクターの主な道具は様々な類比を行なうことです。心理的な思考活性化法は他にもあります。その中の1つ「フォーカル・オブジェクツ法」について後で紹介します。他の方法はページ数の制約で触れることができません。しかし、こうした方法は全て試行錯誤法に基づいているので、いくら改良を重ねてもそれに則って正しい思考法を教えることにはなりません。とはいえ、授業でTRIZを教える教師は人づてで聞いただけでなく、内容の知識に基づいて批判できるために知識をもっていることが望まれます。こうした方法はジョン・クリストファー・ジョーンズ『設計の方法』{J. Christopher Jones, Design Methods, Library Binding, 1980 edition, 396 pages.}あるいは、参考図書リストにあげたTRIZに関する書籍で読むことができます。
ふつう、複雑な問題では活性化の手法は役に立ちませんが、高い創造性を必要としない問題を解決する際には十分活用できると言えます。それ以外にも、こうした方法を紹介して子供たちに「わめきたて」、冗談を言い合い、笑う機会をつくってあげることで授業を活気づけることができます。ただし、間違った使い方をしないように気をつけて下さい。私たちは、子供に教えるようになった始めの数年間、こうした方法にかなり多くの時間をさきました。しかし、その後これがもっと有効性の高いTRIZの方法を身につける妨げになると確信するようになりました。
今度の「創造性の騎士のトーナメント」のコンクールについて私たちは少し心配しています。色々問題があります。最初にやったコンクールは子供たちに気に入ってもらえました。なんといっても、これには原型になったテレビ番組の「何を? いつ? どこで?」と同じようにショーの要素が含まれていました。実は、ショーができる条件は第1に考える時間が短いことです。大詩人プーシキンが言っている職業的戒律の1つに「ミューズは退屈を耐えることができない」ということばがあります。問題を創造的に解決するためには静かなところで落ち着いて考える必要があります。ところが、ショーの場合は一分経ったらはい解答といった具合です。そこで、人気番組の視聴者は考えるというのはそういうことだと信じ込んでしまいます。ところで、世間擦れした物知りはどうでしょうか。物知りは出来合いで、良くこなれた、常にその通りの与えられたものとしての知識を「要求します」。記憶しなくてはいけない、それだけです。
しかし、丸暗記の要素が大きければ大きいだけ創造的可能性、新しいものに対する敏感さが衰えてしまいます。そして、こうした物知りは、今まで無かったもの、誰も知らなかったことに触れている新しい仕事について評価を求められると、どうしても低い評価をしてしまいます。物知りは、そうしたものはこれまでどこにも無かったことを良く知っているので、そんなものはあるはずが無いと決めつけてしまうのです。とはいえ、新しいコンクールは必要です、ショー的な要素を失わずに、正しい、弁証法的な考え方を教え、参加者と見ている人々の創造的可能性を発展させられるコンクールは大いに必要とされているのです。
シニアの生徒たちは教育計画の先走りをして矛盾、理想性、物質場分析というTRIZの用語を使ってしまう失敗を犯しました。しかし、私たちは彼らの失敗をとがめることはしませんでした。第1に「情報の流出」はどうしても避けられません。第2に知らない専門語、単語に何度か触れておいて、完全な説明はあとでするというのは、教え方の手法として悪いことではありません。その順番がやって来た時にそれまでに少し知っていたことを思い出しながら、新しいことを勉強する方がわかりやすいのです。