このページでは、TRIZマスターであり「新しい時代の教育」研究室長としてTRIZの考え方に基づいた教育法の開発・普及を進めているアナトーリー・ギンの文章を、本人の承諾を得て翻訳し、紹介します。
この「親のための教育基礎知識」は小さな子供を持つ方に是非とも読んでもらいたいという著者の意気込みが感じられる文章です。管理人の世代の表現を使えば「子育て虎の巻:教育編」とでもいうべき内容です。多くの方に読んで、できれば、活用していただきたいと期待しながら翻訳を終えました。そこで、pdfフォーマットのファイルも用意しました。保存してご活用ください。
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アナトーリー・ギン
困ったことや失敗の話はどうしても家庭に持ち込まれることになります。ストレスは一番身近で大切な人たちに向けて発散されます。親がこれをすると、一番辛い思いをするのは子供たちです。私たちが大人の世界で進退きわまったとしても子供たちには何の罪もありません。子供たちの心を傷つけないように心がけたいものです。そうすることで子供たちはよりよい生活を築き上げることができるように育つのです。
これはもっとも典型的な問題です。私たちは親しい人たちを相手にちょっとした声をかけるのが大好きです。こうしたコメントそのものは無害かも知れません。しかし、コメントをあるやり方で繰り返すと奇跡、というより奇跡の逆のことが始まります。小さな小人が大きなガリバーを縛り付けたのとおなじで、小さな一言は大きな愛情を台無しにしてしまいます。それでは、一々コメントを言ったりするのはやめにしてはどうでしょうか。それもできないのです。理由は説明するまでもないと思います。それで済むなら、遠の昔にやめてしまっていることでしょう。
ここに矛盾{ジレンマ}があるわけです。一方で、小さな一言をかけることは必要です。声をかけることは行為を補う効果があるからです。他方では、その一言は不要です、心理的な悪影響につながるからです。
それでは、どうしたらよいでしょう。
ピノキオはこう歌います。きれいな女の子の人形のマリヴィーナがピノキオに向かってあれこれうるさく言うもので居たたまれなくなって逃げ出してきたのです{ピノキオの物語をロシアの作家アレクセイ・トルストイが翻案した童話の中のできごとです}。我が子や親しい人にきつい言葉をぶつけたい気持が起きてしまう前に、次の3つのルールを必ず守るように自分をしつけておきましょう。
今日も時間が作れません。いつになってもできそうにありません……。だからこそ、子供と一緒に過ごす時間をかしこい交流に使わなくてはいけません。なぜなら〈かしこい交流〉こそが小さな人が成長するための主要な条件だからです。それがあれば、子供が親に従わない、親に敬意を持たないといった問題は自然に解決してしまうのです。
我が子との交流の時間を有益で楽しく過ごすためにゲームとエクササイズをいくつか紹介したいと思います。ここで紹介するゲームは幼児と公園を散歩するときや、子供を学校に送ってゆくついでに遊べるものです。
用途や構造が違う別々のものを2つとりあげて、2つの間でおなじところは何だろうと子供にたずねます。例えば、家と草とのあいだでおなじなのは何かな、というふうです。役割を交代することもやってください。始め子供が答えたら、次には、比べる2つのものを子供に選んでもらってあなたが答えを探すことにします。こうして交代して遊びます。
似たところのあるものを2つ選んで子供に見てもらいます:木の葉と草、2つの小石といったものを選びます。どうすれば、2つのあいだの違いがもっと大きくなるか答えをさがしてもらいます。前のゲームとおなじで役割を交代するとよいでしょう。
道を歩く時に様々な興味深いモノにできるだけ多く気づいて、何故それを面白いと感じるのか(何がそれを面白いと感じさせるのか)説明します。例えば:
このゲームは難しいところがあるので少し大きい子供が対象です。身の回りの色々なモノを定義します。石とはどんなもの。あるいは、家とは、帽子とは、といった具合です。定義ができたら、その定義のまずいところを探して指摘することで会話が進んでゆきます。例えば:
このように話がどんどん発展してゆくゲームはたくさんあります。もちろん、ゲームそのものだけが目的ではありません。成長途上の子供が身の回りの世界を興味深い課題として受けとる習慣を身につけることが大切です。こうして身の回りの課題を解決してゆくこと、人と一緒に協力し合って解決してゆくことが大切だと理解するようになるのです。
ここまで考えてきたのは、どの家族につきものの2つの問題、あるいは課題についてです。こうした課題はこれ以外にも誰もがもっとたくさん抱えています。ですから、他の人と気持よく暮らしてゆくために、協力してすべての問題を克服してゆくために、課題を上手に解決できるようになりたいのです。
知恵の育成は厳密な学問です。数学ほどに厳密というわけではありませんが、それでも1つの学問です。厳密な学問ですから固有の原則、一番大切で基礎的な条件やルールがあります。
そこで、こんどはそれについて、つまり、強靭で有効に考える力を育てるための原則について説明したいと思います。まず、ごく普通の生活の一場面を取り上げてみましょう。お父さんと6歳の女の子が道を歩いています。冬の夕方です。空には明るい月が出ています。女の子が聞きます「お父さん、月には人が住んでいるの?」
ストップ!ここで観察を中断して、お父さんの答え方をいくつか検討してみましょう。
「おとぎ話型」はロマンチックで子供のものの見方に対応した答えです。素晴らしいことです。しかし、残念ながらずっとこれをやっていると、遅かれ早かれ子供をがっかりさせることになります。子供は大きくなって自分がだまされていたことに気づきます。そうです、まさにだましていたのです。なぜなら、親ほどに絶大な信頼を受ける立場の人はいないのですから。「考えることを教える」という地上で起きているすべてのできごとの中で最も微妙な仕事、それを安易にとりあつかうことによってこの大切な信頼がどれほど失われ浪費されてしまっていることでしょうか。
「科学型」は厳密できちんとした根拠のある答えですから、子供に本当の知識を与えることができます。これも素晴らしいことです。しかし、残念ながらこの説明は好奇心を殺してしまいます。大人同士の間で、ほら何でも知っているんだ、と言っては自慢の種にして喜ぶ軽い好奇心のことではありません。小さな電気を付けて布団にくるまって本を読まずにいられないようにし、大人にまとわりついては「子供っぽい」質問を繰り返えさせ、理解できないことをなんとか理解しようと曲がりくねった説明に緊張して耳を傾けさせる、あの情熱的な好奇心を殺してしまうのです。こうした答え方をすると子供は、たとえ意識にはなくても無意識のうちに、世界中のことは何でも答えがあるのだ、だから、大切なのは考えることではなくて良く聞いて覚えることなんだと決め込んでしまいます。こうしたアプローチの行き着く先は形式的で、いわゆる「クローズト」な保守的な思考様式です。結果として、情の薄い迷うことの無い型にはまった人間が育ってゆくことになります。このような人と気持よく、共に暮らしてゆくのは難しいことです。
私たちには3番目の「オープン型」の答えが一番正しいように思われます。この答えは質問の答を未解決のままで残して、これから自分で考え、様々な知識にひとつひとつ出会うように仕向けます。こうすることで、子供時代のおとぎ話のロマンチシズムを失わずに科学的知識を身につけることができるようになります。
さあ、どうすればよいかわかりました。
この見出しが意味することはこの世界の色々な対象、現象やできごとについて様々な見方を示してあげることです。子供に何かを説明したり見せたりするときに、それについて判っていないことや理解できないことにも注意を向けるようにするのです。成長しつつある知能が空想をしたり、さらに自分で考える余地を残してあげて下さい。
もう1つ観察してみましょう。今度は楽器のおけいこです。1人の男の子が楽器の演奏を習う学校に新しく連れてこられました。この楽器を習いなさいって、誰も男の子に言いません。どの楽器を取りなさいとも、何をしなさいとも言わないのです。
何をしてもいいのです。男の子は注意深く回りを見ながら、すこしずつその場所に慣れてゆきます。始めからではなく、3回目か4回目の時になって自分で楽器を選びます。さあこうなったら、こうなってはじめて、この子に何かを教え始めることができるのです。
その子が何も選ばなかったら……。心配することはないのです。「時が熟する」まで、我慢強く待たなくてはなりません。あるいは、何かまったく別のことをすすめてみます。チャールス・ダーウィン{イギリスの科学者、「進化論」の提唱者として知られるあのダーウィンです}の両親が子供を牧師にしたいという自分たちの希望に固執していたとしたら私たちがこの名前を知ることは無かったことでしょう。なお、この原則は子供に本を選ばせることについてもそのまま適用されます。
お人形さんみたいに可愛いフィル(ナタリー、たけし……)ちゃんがいます。シャツを着せて、靴をはかせてあげて、ぼうしをかぶせて……。フィルちゃんは受け身ばかりの登場人物です。フィルちゃんどうする? とは誰もたずねません。だってまだ小さいんだから。こうして子供に着付けをしてあげる親が理解しておかなくてはいけないことが1つあります。小さいうちはとかくこうなるのですが、後になって子供が自立したがらないからといって驚かないでください。「もう大きいんじゃないか!」などと叫んでも何もなりません。私たちはこれと違うやり方の方が正しいように思います。フィルちゃんに窓の外を見させて「どう思う、外は寒いかな。どうしてそう思うの。どんな服を着て外にいったらいいかなあ。」親は少し辛抱しなくてはなりません。すると子供は自分で何を着るか選ばなくてはいけないことに気づきます。子供が間違った選択をする機会を作ってあげるんですから、間違いを笑ったりしてはいけません。
普通の風船が1つあります。風船をふわっと天井に投げます。でも下に落ちてしまいます。風船を拾い上げて、ナタリーちゃんの髪につけてすっすっすとこすります。もういちど天井に投げると……あれ、天井にくっついちゃった。ナタリーちゃんの髪の毛って魔法の力があるのかな。
これは磁石っていうんだ。針がついているでしょ。この針いつでも同じ方向を向いているんだよ。試してみる。磁石ってどうして方角がわかるんだろう。誰かが教えているのかな。
今度は考える問題です:湯気(ゆげ)に色はあるかな。色は無い? じゃあ、紙の筒を作ってコップから湯気が立つところを覗いてみようか。ベランダのテーブルにコップをおいて湯気に太陽の光が当たるところを見るんだ。ゆらゆらとした虹みたいな色にかがやく柱が見えるだろ。どうして色がついちゃうんだろう。
ただ見て、驚いてください。驚きが思考を呼び覚ますのです。驚きが大きければ大きな思考がうまれます。子供が成長する時期の数年の間に脳は猛烈な発達をとげます。外部から刺激を受けて単に反応する状態から全宇宙のモデルを作り上げるまでになるのです。とても難しい仕事が進んでいるのです。それを助けてあげましょう!
毎朝生徒たちが揃って合唱をすることになっていました。でも歌を歌わない男の子がいるのです。先生が理由を問いつめると、男の子は先生の歌へたなんだもの一緒に歌ったら僕も下手になっちゃうというのです。この子の生意気な物言いはすぐに校長先生に報告されて罰が与えられることになりました。男の子は毎朝合唱に参加しないでよいことになりましたが、みんなが歌っている15分間作文を書きつづけなくてはいけないのです。彼は後に、この罰を受けたお陰で毎朝1000語書くことができるようになったと言っています。この子のことを私たちはジャック・ロンドン{アメリカの作家}という名前で知っています。
校長先生がジャックに罰を与えた時には大作家を育てるという目標を持っていたわけではないと思います。そもそも、子供に罰を与える時にそんなことを考えるでしょうか。罰を与えることが不可欠だとして、その罰でさえも学習の進展や心の成長を促進するような形で育成の仕組みを作り上げることはできるでしょうか。
天才と言われている文筆家や思想家が学校時代には出来が良くなかったという話はよくあります。こうした落ちこぼれのリストに入っているのはアレクサンドル・プーシキン{近代ロシア文学で最高と目されることの多い詩人で作家}、ウォルター・スコット{スコットランドを代表する作家の1人}、チャールス・ダーヴィン{イギリスの科学者}、ブレーズ・パスカル{フランスの哲学者、思想家}、アルベルト・アインシュタイン{ドイツ生まれの理論物理学者}などです。こうしたことについて普通には、子供時代は怠け者だったとか、少し出来の悪い子供だったがある時点で奇跡的に能力が開花したといった説明がなされています。アメリカの研究者キャサリン・コックスはこの意外な事実をなんとか説明しようとしました。彼女は記録の良く残っている100件の伝記を選んで研究しました。その結果、愚かだったというのはすべてのケースで事実に反することが明らかになりました。単に、将来の天才たちの知的ニーズや性向と学校の授業内容とがひどくかけ離れていただけのことだったのです。
とは言っても、天才はどんな障害でも乗り越えることでも天才なのかもしれません。一方で、どれだけの普通に可能性を持っている子供たち、大きな可能性を持っている女の子や男の子が国が決めた硬直した教育の枠組みの中で自分の可能性を伸ばすことができずに終わってしまっていることでしょうか。もちろん、少しずつ状況は変化しています。ただ、変化することに失敗し、北から南まで西から東まですべての子供が画一的なカリキュラムでまったく同じ教科書を使う規則固めの灰色の学校体制……に戻ってしまわないように望むだけです。
アメリカのいくつかの州では義務教育を終えないと運転免許を受けることができない規則が導入されたといいます。この規則はどんな法律よりも普遍的教育の実現に効果を発揮しています。日本では高等教育の義務化が真剣に議論されています。しかし、高等教育を受けることをどのようにして奨励するのでしょうか。大学を卒業していない人は自家用飛行機を運転できないことにでもするのでしょうか。
冗談はさておき、教育を重視することは国が発展することにもっとも欠かすことの出来ない要素の1つです。国家における「頭脳」の軍事的水準すら戦略的な潜在力として評価されています。一方、急速に発展しているアジアの国々は教育体制を真剣に見直す独自の道をあゆみ始めています。学校の問題については慎重に対処することが求められます。しかし、この問題は自分の将来に向けてブーメランを投げるのとおなじように、結果を予測することが難しい問題です。
母は花を育てるのが好きです。フロリダの家には200種類以上の植物があります。子供たちが自分の趣味に無関心なことに心を痛めた母は私たちに関心をもたせようとある方法を思いつきました。買い物に出かけようとすると冷蔵庫にメモが貼ってあります。「マイクへ、スニーカー片方分のお金はプエラリア{くず=植物}の鉢の下にあります。」「メリーへ、スニーカーもう片方分のお金はアルム{さといも科の植物}の受け皿の下にあります。」私たちは、お金を探すために200もの鉢の下を探すよりは植物の名前を覚えた方が手っ取り早いことをさとりました。
マミー・ドイル・ブラウン(アメリカ、セントピータースバーグ)は母親としての自分の課題「子供に植物の種類を覚えさせること」をこんな独創的な方法で解決しました。しかったり、愚痴をいったりは一度もしませんでした。課題を上手なやり方で解決すれば、自分の子供でも、他の人々でも、自然が相手でも、いつでも和解に近づくことが可能です。これができるように、独創的な解決策を発見する方法を一緒に勉強しませんか。
他の人を理解するためには「相手の身に」なってみることが必要です。文化の有りようは色々ですがこれはすべての民族に共通するわかりやすい真理です。しかし、1つの民族に限っても、男と女、子供と老人、生徒と先生というようにこんなに違っている私たちがどうすれば「相手の身に」なることができるでしょうか。アメリカに住むリンダ・ワーレという女性コンサルタントは男性用の妊娠シミュレータを発明しました。シミュレータを2時間ほど身体に付けた男性は「女の役割」の重みを一生忘れないと言われます。シミュレータには幾つかのパーツが含まれます。まず、幅広のバンドで肋骨を締め付けて静脈の血圧を高くします。大きなお乳は5キログラムの水が入っている袋で、これが腹部を圧迫します。また、子供の動きをまねた特殊装置もついています。 さらに2キログラムの金属の粒が入った袋が膀胱を圧迫するようになっているものですからトイレに通う頻度が高くなります。男性がシミュレータを身につけて靴ひもを結ぼうとしたり、カバンを持ち上げようとする時には驚く程の違いがあるといいます。叫んだり、うめいたり、胸がきつい、背中が痛いと訴えたりです。発明したリンダは次のように言っています。「この装置は男性の眼を開きます。これを体験してはじめて、彼らは妊娠した女性の強さやエネルギーの大きさを理解することができるのです。」
いかがでしょうか。これもまた、私たちを相互理解と和解に近づけてくれる素晴らしい解決策の例と言えます。将来「相手の身になれる万能シミュレータ」が発明されることを期待したいものです。それまでのあいだは、辛抱強く、同情を持って人に接するようにつとめようではありませんか。