TRIZを広く一般に普及させる上で何としても達成しなくてはならない課題は、直接の利害に左右されない立場にあって論理的な手段以外では説得することの出来ない人々にTRIZの価値を理解してもらうことである。TRIZに含まれる幾つかの手法を紹介すること、TRIZがどのようにして作られ、どのようにして使われているかを説明することは彼らに対しては十分ではない。そのような説明ではTRIZが他の方法や知識では得られない何を文明に付け加えたのかを伝えることはできない。従来の発想法や各種の論理的分析法の範疇にTRIZを含めることは出来ないことをはっきりと示すプレゼンテーションが求められている。
しかし、この課題を達成することは容易ではない。その理由はTRIZの公準と考えられている「技術的なシステムの進化は偶然まかせに進むのではなく、一連の客観的法則に従っている」[注1]
という命題そのものが不明瞭であることである。例えば、この命題に含まれる技術的なシステムについてはTRIZコミュニティーの内部で活発な議論が交わされてはいるが、現状ではコミュニティー内の限られたメンバーの間ですら合意形成が困難であることが認識されている[注2]。公準の中でも最も重要な概念である法則に関してはその内容に欠陥があることが認識されている。しかし、状況を打開する具体的方策は見いだされていない[注3]。このような状況が、TRIZに初めて接した技術者から「まるで“神のお告げ”みたいであまりにも抽象的である」
という批判を呼ぶことになる[注4]。また、TRIZを作ったG.S.アルトシューラ自身が対決し、TRIZの運動が半世紀以上闘ってきた「発明は偶然やひらめきの産物である」
と考える伝統的な理解が、指導的な科学者の間で未だに健在であることにもつながっている。例えば、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治は次のように述べている:
「偶然に見える価値の発見は、しかし偶然では得ることができないと思います。そこには、価値を見つけるレセプター(受容体)が備わっていなければなりません。価値の発見は、自らの研鑽を通してつくられた頭の中のレセプターに引っかかる、つまり感じるということです。レセプターは言わばアンテナのようなもので、教養が豊かになることでレセプターの種類も増えていきます。」[注5]
野依の見解は1956年にアルトシューラが批判しているS.L.ルビンシュテインの『一般心理学概論』の水準から進歩しているように見受けられない[注6]。言い換えれば、現在のTRIZの公準とそれに基づく論理的展開は、発明や創造に関する伝統的な理解を覆すためには十分に有効に機能していないと考えざるを得ない。
注1 例えばアルトシューラ・G.S. (Altshuller, G.S.)「現在のTRIZと学習者の創造的思考の開発」『教育における心理的要因の活用』モスクワ:「ズナーミア」出版社、1987、46-62ページ。(ロシア語)
注2 例えば次のウェブページの議論を参照:http://triz-summit.ru/ru/section.php?docId=4593(ロシア語)
注3 V.M.Petrov, M.S.Rubin, “Systems of trends of engineering system evolution”, Development of inventive problem solving tools - Conference proceedings, TRIZ Development Summit Library Volume 2, St. Petersburg, July 2008.(目次は英語があるが内容はロシア語のみ)
注4 Victor R. Fey, Eugene I. Rivin著、畑村洋太郎、実際の設計研究会編著『TRIZ入門、思考の法則性を使ったモノづくりの考え方』日刊工業新聞社、1997、125ページ。
注5 野依良治「専門性と教養を合わせ持つ人をもっと育てよ」『VIEW21[高校板]2006、No.4』ベネッセ教育研究開発センター、2006。
注6 アルトシューラ・G.S.、シャピロ・R.B. (Shapiro, R.B.)「発明的創造の心理学について」『心理学の諸問題』1956年、Vol.6、37-49ページ。(本サイトに日本語訳あり)
TRIZの価値を示す手段として、既存の伝統的TRIZ理論が不十分であるとすれば、現実のTRIZの内容に基づいてその価値を示さなくてはならない。本論の目的は現在使われているTRIZの内容に基づいてTRIZが持っている価値を特定し、TRIZを普及するための新たな議論を提案することである。
もちろん、本論の筆者が接したTRIZの範囲は限られている。したがって、本論では筆者が接した範囲のTRIZに基づいてTRIZ全体の姿を推定した。また、議論の余地を残す革新や創造性という概念に基づいて議論を展開することを避けて、より一般的に「人の生を豊かにするための思考の方法」としてのTRIZの価値について考えることとした。その一方で、TRIZの価値の1つと考えられる「教育・学習の方法」の側面は筆者の現在の能力を超えるので対象としていない。
なお、MATRIZの宣言に書かれているようにTRIZは社会的運動でもある[注7]。本論では現存するTRIZを発展途上の形態と捉えて、現在のTRIZが示唆する将来あるべき可能なTRIZもTRIZの内容に含めて考えることとした。
筆者の理解では、現在のTRIZの運動の中で使われている考え方、方法、思考ツール、テクニック(以下ではTRIZ要素とする)を次の5つのグループに分けることができる。
注8 USAのアイディエーション社が発展形TRIZとして提唱するI-TRIZに含まれる要素。以下同様。
注9 発展形TRIZの1つOTSM-TRIZで用いられている要素。以下同様。
注10 USAのGen3パートナーズが提唱するG3:IDで用いられている要素。以下同様。
TRIZ以外の思考の方法は、作った人々のなんらかの発見に基づく応用論理学、状況を合理的に分析する方法、あるいは、人の心理・知覚の何らかの特性を制御あるいは活用する方法であり、それ以外の思考過程に関しては分析・総合・帰納・演繹・類比といった一般的思考法あるいはこれ以外の既存の科学的成果に依存している。TRIZも論理、合理性、心理の制御、科学的成果の応用に着眼した要素を含むが、他の方法が特定の思考過程についての合理性や結果に着目しているのに対して、TRIZはあらゆる状況を対象として思考過程を合理化し最終的に良い結果を得ることを目的としている点に特徴がある。TRIZは極めて多様な要素を含み、人間的ニーズの分析から、状況を改善するアプローチの特定、その具現化の計画、および、その計画に付随する問題の発見と事前の対処方針の決定まで思考過程の全ての段階に対処しようとしている[注11]。個々の思考過程についていえば、TRIZが他から学ぶべき考え方、方法、テクニックが多数あることは否定できない。しかし、今日のTRIZは他の方法の利点を学びそれを自分の体系に取り込むことを躊躇していない。現在のTRIZは体系として現実的な思考過程のあらゆる要素に対応しようとする志向を持っているように見受けられる[注12]。
注11 たとえば、GEN3パートナーズの “G3:ID Innovation Roadmap” を参照: http://www.fiergs.org.br/files/arq_ptg_6_1_9717.pdf, Slide 9(英語)
注12 たとえば、アイディエーション社のIdeation TRIZ MAP はその傾向を良く示している: http://www.ideationtriz.com/itriz_map.pdf(英語)
TRIZの多数の要素が共通して持っている特性は具体的な現実の状況を原理のレベルまで一般化して理解しようとする指向性である。例えば、問題解決の始めには具体的専門的状況を日常的用語や矛盾の汎用テンプレートの形式におきかえて表現することによって一般化してとらえることを推奨する[注13]。その矛盾も〈管理的〉水準から、〈技術的〉矛盾、〈物理的〉水準へと一般化のステップを高めてゆく[注14]。現代のTRIZに含まれるAFDという方法は事故や故障の現象を一般化して背景にある物理的プロセスを発見しようとする[注15]。利用可能な機能や有害な影響を発見するためにAFDやOTSM-TRIZのENVモデルでは具体的な対象をその対象がもつ個々の特性やその特性の値の形に一般化する[注16]。
注13 アルトシューラ・G.S.「ARIZ85-C」ステップ1.1。(本サイト「TRIZの古典」セクションに日本語訳あり)
注14 アルトシューラ・G.S.『アイデアを捜して:TRIZ入門』ノヴォシビルスク:「ナウカ」出版、1986、68-69ページ。(ロシア語)
注15 スヴェトラーナ・ヴィスネポルスキー著、黒澤愼輔訳『故障・不具合対策の決め手』日刊工業新聞社、2013。(Visnepolschi S., How to Deal with Failures (The Smart Way) - Anticipatory Failure Determination, Ideation International Inc., 2008)
注16 例えば、ネスチェレンコ・A. (Nesterenko A.)「標準的解決策の発見について」、2003、セクション3.2。(http://www.trizminsk.org/e/prs/232041.htm:ロシア語)
TRIZコミュニティーの中にはTRIZを技術システムを越えて適用することに付いて慎重な傾向がある[注17]。確かに、TRIZの要素の多くは技術システムの進化に関する資料に基づいて作られたものである[注18]。しかし、一般化はTRIZそのものが内に持っている指向性である。技術システムに適応した経験を一般化してTRIZを非技術分野に適用しようとする趨向を止めることは出来ないように思われる。むしろ一般化の志向は、経営、生産、開発、アイデア発想など適用範囲を限定されている他の方法とことなるTRIZの特徴の1つと理解できるのではなかろうか。G.S.アルトシューラとG.L.フィルコーフスキーは1975年に書いた「現在のTRIZ」という論文の中でTRIZの考え方は教育、芸術そのほかの人間活動の分野に適用することができると書いている[注19]。この論文で予見されていた芸術分野でのTRIZを方法として具現化したY.S.ムラシコーフスキーの労作『芸術の伝記』はこの予言を素晴らしい形で実現したものと言える。TRIZそのものの有効性を疑わないとすれば、ムラシコーフスキーの研究の現実的な有効性を疑うことは難しい[注20]。
注17 例えば米国アルトシューラ・インステテュートが掲げている下記の文章などにこの傾向が見受けられる: “TRIZ Body of Knowledge”。(http://www.aitriz.org/triz/triz-body-of-knowledge:本サイト「TRIZとは」セクションに日本語訳あり)
注18 Altshuller G.S., “The history of ARIZ Development”, 1986. (http://www.altshuller.ru/triz/ariz-about1.asp:本サイト「TRIZの古典」セクションに日本語訳あり)
注19 アルトシューラ・G.S.、フィルコーフスキー・G.L. (Filkovskij, G.L.)「現在のTRIZ」、1975、セクション6。(http://www.altshuller.ru/triz/triz2.asp:ロシア語)
注20 ムラシコーフスキー・Y.S. (Murashkovskij Y.S.)『芸術の伝記』スカンディナヴィア出版社、2007。(ロシア語:本サイト「現代のTRIZ」セクションに第一章の日本語訳あり)
TRIZが一貫して研究の対象としてきた〈発明〉や〈創造〉という概念はいずれも潜在的な価値判断を含む概念である。諸要素の中でもTRIZの特徴を最も強く現している要素グループAとBとは人間的な〈ニーズ〉が指し示す方向性を考慮しないとすれば意味が無くなってしまう。つまりTRIZは価値を扱うことに重点をおいた実践的方法である。例えば、USAのGen3パートナーズのG3:IDという問題解決システムでは現実の状況から実践的価値につながるしかるべき課題を抽出することを目的とした Main Parameter of Value (MPV) というステップが要点になっている[注21]。また、同じくUSAのアイディエーション社の Directed Evolution という方法は着目した分野で近未来に製品や技術が開発されてゆく過程を複数のシナリオとして予測し、その中から最大の価値を期待できるシナリオを選択して行動計画を立案実行することを目的としている[注22]。
TRIZの手法は問題状況に顕在しているニーズを分析し、一般化して本質的ニーズに読み替えることは行うが、〈ニーズ〉を捨象することはしない。一般化の指向性がどこまで進んでもTRIZが無色透明な〈論理の学問〉になってしまうことはない。TRIZの目的は〈発明〉や〈創造〉の範囲にとどまらないとしても、〈人の生を豊かにする〉方向性を失うことはない。TRIZの適用範囲の限界は技術と非技術の間のあいまいな境界にあるのではなくて、〈人の生を豊かにする〉方向性を持っているか持っていないかという点にあるように思われる。筆者の理解では、TRIZは〈客観的〉学問ではないところに存在意義を持っている。
TRIZの価値を考察する上で決定的に重要なのは公準に直接関係のある上述のTRIZ要素グループBをどのように捉えるかである。伝統的TRIZ理論の公準は技術進化の法則を人間のニーズや選択とは独立して進行する客観的過程における法則性と捉える誤解を許す表現である。しかし、対象的諸物の人工的変化は制作者が自らのニーズに従って〈より良い〉と考えた主観的判断によって市場に登場し、ユーザーが自らのニーズに従って〈より良い〉と考えて行う主観的選択によって市場に広まってゆくのである。もちろん他方では、こうした変化を可能にするのはそれに先行する対象的諸物が存在していることであり、変化を可能にする様々な資源が(物質、エネルギー、時間、空間、知的、心理的資源をすべて含めて)入手可能な状態になっているという〈客観的〉状況である。したがって、TRIZが対象としているのは主観と客観とが分離していない、人間のニーズと生活の環境とが出会うインターフェースの地平における法則性であり、いいかえれば、人間のニーズが環境の中であれやこれやを選択した結果に観測される法則性である。
アルトシューラとR.シャピロが1956年に「発明的創造の心理学は、人間心理の主観的世界と技術の客観的世界との間をつなぐ架け橋の役割を果たすものであり、それゆえに、発明的創造の研究に際しては技術発展の法則性を考慮に入れなければならないのである」
と書いた時にはこうした状況が想定されていたと理解すべきであろう[注23]。ところで、発明がもっぱら主観的な過程だと誤解され、しかも〈ひらめき〉のような不可解な要素に左右される過程だと考えられていた60年前には、アルトシューラ等が技術発展の法則性にアプローチする手段は客観的世界に実現した結果の側でしか得ることができなかった。〈技術システムの進化の法則〉を抽出する作業は技術史、パテント資料に基づいて行わざるを得なかった。これは必然の過程ではあったが、結果としてこれがTRIZの現在の公準のあいまいさにつながっていると考える。
注23 アルトシューラ、シャピロ「発明的創造の心理学について」、37-49ページ。(本サイトに日本語訳あり)
アルトシューラとシャピロの提案から半世紀を越えた現在、我々はTRIZ研究の歴史は〈発明〉・〈創造〉・〈ひらめき〉などと呼ばれている過程のあいまいさを解明する手がかりを蓄積する歴史だったと考えるべきではないか。要素グループBの〈法則〉は人間のニーズが対象的事物と出会う地平でどのような〈化学反応〉が生じるか、そして、その化学反応からどのような変化が〈より良い〉ものとして登場してくるか、その一般的方向を示唆している。ここで着目すべきなのは、TRIZの〈法則〉は個々の〈化学反応〉の結果の全てが〈発明〉であると言っているわけでは無いことである。特許の大多数は日常的な意味での発明ではない。多くの場合〈発明〉や〈創造性〉とは製品や技術の変化の一部に社会が後からつけるようになる形容語である。筆者は、たとえTRIZを使うことが、得られる結果に〈発明〉や〈創造性〉という形容語が付く可能性を高めるにしても、TRIZの理論ではこうしたあいまいな用語の使用を避けるべき時が来ていると考えている。
TRIZ要素のグループBを上のように捉えると、筆者がグループAに含めた主な要素は次のように特徴づけることができる:
これらは全て当初の状況を〈より良い〉方向に変化させる操作を示唆するものであり、したがって、グループBはグループAと一体と考えて、グループA+Bを1つのグループとみなすことができる。
もちろん、〈より良い〉ということが何を意味するのかわかっただけでは、人間の現実的ニーズを満たすためには不十分である。現実の状況について妥当な理解を得て、〈より良い〉に現実的に有効な実体を与えるために、TRIZはその体系の中に多様な要素を含むことになったのである。TRIZが体系となっていることの意味と、個々の要素グループの位置づけは次項で触れることにして、そのまえに、これまでの考察をまとめて現在のTRIZが今後どのような方向を目指して発展してゆくべきか、筆者の考えを期待も含めて以下に提示しておきたい:
TRIZは人の生をより豊かにするものとしての思考の原理を明らかにし、その目的にそって考える思考方法を確立することを目指した国際的な社会運動である。
そもそも思考は身体に起源を持ちながら、身体と環境との相互作用の地平で生じ、起源である身体に様々な程度で依存し、あるいは様々な程度に身体から独立して展開する捉えにくい現象である。思考という複雑な現象を理解しその過程を適切に制御するためには、思考現象の複数の相異なる側面に着目して、それぞれの角度からみた展望を描き出すことが必要である。筆者は「TRIZは思考という現象がもつ多様な側面にそれぞれ焦点をあてるために多様な要素を持つようになった」という仮説を立て、この仮説に基づいてTRIZを把握することによって現在のTRIZの理論的停滞を打破することができるのではないかと考えた。ある段階で、2.(1)で挙げたように現存するTRIZの要素を5つのグループに分類することができると考えて、これに対応する思考の5つの側面を発見しようと試みたが、納得のゆく説明をえることは出来なかった。しかし、3.で論じた観点を踏まえてすべてのTRIZ要素をグループA+Bを含む4つのグループと見たばあいには、思考がもつ複数の側面とTRIZの要素グループとの間の対応関係をすっきりと説明することができる。
4つのグループを主観的な要因の比重という観点から比較すると、グループA+BとグループEではその比重が高く、グループCとグループDは比重が低い。次に、それぞれのグループの要素が着目している対象という観点から比較すると、グループDとグループEとは状況を構成している個別の要素の特性に着目しているのに対して、グループA+BとグループCとでは対象の間の関係に着目している。この2つの比較が思考そのものが持つ様々な側面にそれぞれ対応しているとすれば、人間の思考の地平を次の図式で表現することができる。なお、表では、思考が持つ個々の側面を〈契機〉という言葉で表した。
主観性に比重がある | 客観性に比重がある | |
---|---|---|
個別の特性 | 思考の契機III グループEが対応 人間の主観的知覚のあり方の特性に焦点を当てた思考 |
思考の契機I グループDが対応 状況を構成する個別の要素の特性に焦点を当てた思考 |
関係の特性 | 思考の契機IV グループA+Bが対応 人間の知覚内容の相互間の関係に焦点を当てた思考 |
思考の契機II グループCが対応 状況を構成している要素間の関係に焦点を当てた思考 |
この表が示す思考の契機のうちI、II、IIIとそれぞれに対応するTRIZ要素との対応関係はわかりやすいが、思考の契機IVはわかりにくい。そもそも、TRIZ要素A+Bは思考に含まれる主観的な面に比重を置いているといえるのか、また、なんらかの関係に着目しているといえるだろうか。いずれについても、答えは是である。まず、グループA+Bに含まれる諸要素は、人がつくり出すものが作り手や使い手の観点から見て現実に自分にとって(素直に=主観的に)「良いと思える」変化の系列や、変化をもたらす操作を示したものである。また、変化の前との関係で後には〈より良く〉なっているという相互関係があってはじめて変化といえるのだから、関係に着目した要素と考えなくてはならない。次に、思考の契機IVは知覚内容の相互間の関係とされているが、知覚内容相互間の関係とはグループA+Bの諸要素が示唆する〈より良い〉という観点からみた関係だけをさすのだろうか。我々が視野に入れている「人の生を豊かにするための思考」についていえば、この疑問に対する答えも是である。この観点から見て意味のある知覚相互間の関係の中で、対象的事物の関係として捉えることのできない関係は、〈より良い〉か否かの関係、すなわち価値を巡る関係以外には存在しないように思われる。空間的関係はそもそもが対象的事物の関係として知覚される。時間的関係は直接的には主観的知覚内容の中での関係だが、我々はその主観的関係を対象的数字の関係におきなおすために時計という手段を使う習慣をもっている。可能性をめぐる関係について我々は確率論という学問体系を利用することができる。また、我々が現実的対象の現実的有益性を取り扱っているかぎりにおいては、現実性/空想性の関係は捨象することができる。ちなみに、有益性/無効性、美/醜、好き/嫌い、便利/不便その他の関係は全て、良いか悪いかという価値の関係に置き換えることができるし、良いか悪いかの関係は〈より良い〉の選択で代理することが可能である。
この表は人間のすべての現実的な思考において暗黙裏に想定されている契機を4つの側面として表現したものである。あらゆる思考はこの4つの契機によって作られる地平のどこかに位置づけられる。誤解を避けるために付け加えると、この表は人間の思考を分類しているものではない。あらゆる具体的な思考は4つの契機のそれぞれに何らかの程度に比重を置いている。そうした人間の思考を対象として研究する、あるいは、意識的に制御しようとする際に、そしてTRIZの意義を説明するためにここに挙げた4つの契機を手がかりとして利用することが好都合だというだけのことである。
表現を変えよう。問題の解決が難しくなる要因は次の4つのいずれかである。4つはそれぞれ4つの思考の契機に対応している:
筆者は、TRIZが極めて多様な要素を含んでいるのは、一見無限に多様に見える現実的難問を確実に解決に導くためにはこの4の契機のそれぞれ対応するアプローチ、方法、テクニックがもとめられるためだと理解する。したがって、TRIZの要素グループの側から思考の4つの契機に対する対応関係を表現すれば次のようになっている。
人の知覚に着目 | 対象的事物に着目 | |
---|---|---|
状況内の要素の特性 | 思考の契機III 〈グループE:人の知覚の特性によって思考の自由が妨げられることを避ける方法〉 |
思考の契機I 〈グループD:対象的状況に含まれる個別の構成要素を活用するためのアプローチ〉 |
状況内の関係の特性 | 思考の契機IV 〈グループA+B:人がニーズを満たすために使用する用具的対象の歴史的変化に見られる傾向の類型、および、対象をニーズに合わせて人為的に変化させる方法〉 |
思考の契機II 〈グループC:対象的状況の構造を理解するための分析的・論理的方法〉 |
思考の方法の体系としてのTRIZの意義の1つは、問題を難しくする可能性をもっている思考の4つの契機にそれぞれ対応する多彩な方法を備えもっていることである。現在のTRIZが使用している方法群に不十分な点があったとしても、4つの契機のすべてに対応可能な方法体系のプラットフォームを提供していることの意義は大きい。方法としてのTRIZの2つ目の意義は、思考の契機IVに対応する人の価値観に関連する問題に対処する合理的な方法を開発したことである。価値は従来宗教、社会的規範などにもとづくか、金銭の量によって間接的に評価されてきた。しかしTRIZは人工物の歴史の研究を通じて価値を直接的に扱う方法を開発した。TRIZの研究者達は歴史の研究を通じてどのような変化が物の価値を高めるかを明らかにしてきた。その発見は彼ら自身の手で、実際の対象物に応用され、その効果が確認された。つまり、TRIZは人に〈より良い〉と感じさせるためには対象物をどのようなやり方で変化させれば良いかを発見した。いいかえれば、TRIZは対象物の形態的な変化と人が感じる〈より良い〉という感覚との間に相関関係があること、ならびに、その具体的内容を発見した。こうして、TRIZは人が現実の生活の中で行う〈より良い〉ものを選択する実用的な価値創造のその場で、価値を直接的・具体的に取り扱うことを可能にしている[注24]。
注24 〈より良い〉方向に向けた変化の質を評価する尺度については、別途独立した研究が必要である。ムラシコーフスキーの『芸術の伝記』はこの点について1つのモデルを提供している。
本論の考察の目的はTRIZコミュニティーを対象として、TRIZの普及を困難にしている重大な要因である公準の不備を補う議論を提案することにある。部外者にTRIZの価値を理解させるためには、本論の回りくどい議論は不要であり、有害かもしれない。したがって、本論が提案する内容は以下の通りである:
本論で紹介した2つの表は以下の目的で有効である。