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現代のTRIZ

ムラシコーフスキー『芸術の伝記』第一章

ラトヴィア在住のユーリー・ムラシコーフスキーはアルトシューラから技術以外の分野にTRIZを適用することを勧められた研究者の1人です。

永年の研究の成果を2006年に労作『芸術の伝記 (Биография искусств)』として発表しました(書誌情報はページ末尾)。

ユーリーの快諾を得ることができましたのでこの本から一部を紹介したいと思います。

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芸術の伝記

1.イントロダクション

かくて神は、いまの世も地の上を動きまわる 
すべての生き物をお創りになられた、
そして、そのひとつが人であった。
人となったこの粘土のかたまり、
これのみが唯一、言葉を話すことができた。
神は身をおかがめになり近づかれた、
粘土から創られた人が、立ち上がり、
あたりを見回して話し始めるところへ。
人は神を見て恭しく話しかけた:
「このようなこと全てにどのような意味があるのでしょうか」
神は訊ねられた——「全てのことに意味がなくてはいけないのかね」
人は答えた——「勿論です」
「それでは、その意味を探し出すことをお前の役割としよう」
神はそのように言い残して去ってゆかれた。

ボコノン 
{カート・ヴォネガットの小説『猫のゆりかご』に登場する 
架空の宗教の教祖の言葉}

 古くから「どうしても追いつけないときには追い越すことを身につけなさい」と言われています。これを私達の場合に当てはめると、芸術の進化——主題や表現手段の進化を予測するということになります。つまり私達が研究しなくてはならないのは、ある世代の芸術家が残したそのものではなく、残されたものの間の変化のありかたです。「どのように、また、なぜ芸術は変化するのか。」課題をこのように設定することによって、1つの可能性が浮かび上がってきます。もし、この変化がどんな法則に沿って生じているのか明らかにすることができれば、根拠をもって予測を行なうことができることになります。このような試みは過去にもありました。例えば、イタリアの哲学者で、歴史家かつ文学研究者でもあったべネデット・クローチェ(1866–1952)は芸術の進化について興味深い説を残しています。彼は、芸術の進化には周期性があると考えました。1人の天才が出現すると1つのサイクルが始まります。始まったサイクルは、天才が生み出した主題あるいは表現手段{がもつ可能性}が追随者によって使い尽くされてしまうまで発展します。次に新たな天才が出現して新しいサイクルを始めます。(M. Abbate『べネデット・クローチェの哲学とイタリア社会の危機』{ロシア語訳}モスクワ、1959)しかし、今度は次の問いに答えなくてはなりません。「天才はどのようにして新しいサイクルを始めるのでしょうか。」そして、この点こそが問題なのです。この問いに対するクローチェの解答は「直感」です。ここで、また理解できないものに出会ってしまいます。解きほぐされたかに見えた輪がまた閉じてしまいました。

 Y.トゥイニャノーフ(1894–1943、ロシアの作家・文芸評論家)は「文学の進化について」という論文で、この閉じた輪を開こうとする試みにもっと真剣に取り組んでいます。(Y.N.トゥイニャノーフ『詩学。文学の歴史。映画』モスクワ、ナウカ出版、1977、pp.270-281)この論文は1920年代に書かれたものです。以下は、この論文の抜粋です。

  1. 芸術の研究は常に起きている移り変わりやすい文学的現象を研究することをせず「主要な、とはいえ、やはり個別の現象の研究を行い結果として文学の歴史を『将軍たちの歴史』にしてしまう。
  2. 研究には2つの種類がある。「文学的諸事象の創世記(ここでは、年代記的順序:原注)の研究、および、文学の系譜、文学的変異の進化の研究である。
  3. 現在は、これらのうち前者すなわち、創世記の研究しか存在しない。その結果、芸術作品の「素人論評」と芸術研究における主観主義が跋扈することになっている。「文学の進化あるいは変異の研究をこうした素人論評から引き離さなくてはならない。」さらに:「作品の評価における主観性の色彩を払拭し」あれこれの文学的事象の「意義」は「進化史的な意味、特徴」として検討されなければならない。
  4. 最後に:「文学史的な進化に関連して最も大切な概念は『諸システムの交替』である。

 トゥイニャノーフは自説を裏付ける例をいくつか挙げていますが「進化」の研究をさらに続けることはしませんでした。その理由は推測することしかできません。1つの可能性として、研究に使える方法が存在しなかったことが想定できます。当時は、トゥイニャノーフが批判した当のやりかた以外には芸術研究の方法がなかったのです。

 しかし現在、その状況は全く異なるものになっています。

{当時ソ連の一部だったアゼルバイジャンの}[訳注]バクー出身のゲンリフ・サウーロヴィチ・アルトシューラという技術者が発明の方法に関する研究を開始したのは1946年のことです。その成果は今日、世界的に知られた実践的な方法TRIZ(発明レベルの問題解決の理論)に結実しています。TRIZの用途は技術的発明にとどまりません。TRIZは技術的なシステム{ここでは、広い意味で「人工的な仕組み」と理解して下さい}の発展に内在する法則性を研究してきました。その法則性を利用することで、技術的課題を克服する際に単なる偶然まかせや膨大な試行錯誤をやめる可能性が得られたのです。解決策を求める闇雲な探索は、TRIZによって、新たに開発されるものがどのようなものになるのか、論理的、体系的に予測する坦々とした作業に置き換えられます。発明家の「芸術」が優れた解決策を開発する「技術」へと変化したのです。

さらに重要なのは、TRIZが、技術的なシステムに限らず、全てのシステムの発展における法則性を研究する方法を提供していることです。この方法はすでに生物学、教育学およびビジネスの分野で有効なことが明らかになっています。同じ方法を芸術の進化——トゥイニャノーフが期待したまさにその「進化」——の研究に利用することは大変魅力的に思われました。

[訳注]{}内翻訳者。以下同じ。

 本書の著者は、こうして、1979年にTRIZを用いて芸術の進化を研究することを始めました。研究に用いた方法はいたってシンプルです。まず、芸術に関する資料、評論、ならびに自分自身の観察を通じて、芸術の進化に関する諸事実を収集します。芸術において何らかの質的変化があったという諸事実です。次に、これらの諸事実を時系列的連環として整理します。そして、これらの変化の中の共通するもの反復するものを取り出します。なぜ、特にこのように変化したのでしょうか。違う変化の仕方はありえたのでしょうか。その変化は、その芸術システムが進化することにどんな風に寄与しているのでしょうか。

 これらの問いかけが私達の研究のアプローチです。初めての研究成果は1984年に{ロシアの}ノボシビリスクで開催されたTRIZ会議で発表されました。芸術の「進化」理論が可能だということはその段階で明らかになりました。現在では、芸術システムの進化に関する理論の基本的枠組みは既に完成したといえます。こうした理論的研究と並行して、現実の芸術システムの進化を予測する実践的作業、ならびに、理論の普及教育が進められました。様々な芸術分野の作家、教師、いずれかの芸術分野に関心を持つアマチュアを対象として行なわれた教育セミナーの数は1996年までに100回を超えました。これを通じて、この理論が実践において効果を発揮するという確信が生まれました。

 一週間のセミナーを行ないますが、その終了時には、芸術的実践についての難しい課題を、その課題の分野にほとんど関わりを持ってこなかった参加者を含めて、多くの参加者がうまく解決できるようになるのです。これらのセミナーの参加者は始め、講師が与えるその人にとっては新しい課題(歴史上実際に生じた{が、セミナー参加者にとっては未知の}問題を克服する方法の発見——プーシキン、レオナルド・ダ・ビンチ、モーツアルトなどの大家が経験したことを含みますが、一般にはあまり知られていないものもです)に取り組みます。こうした課題について参加者は講師が準備した{史実に対応した}解決策を自分の力で{再}発見するだけでなく、史実とは異なるものの十分に妥当性のある他の解決策や、時には、史実よりもさらにすぐれた解決策を発見することさえあります。さらに学習の進捗状況に応じて、参加者は過去に誰も解決したことのない本当に新しい問題を解決する課題に取り組みます。一週間の教育セミナーで扱われる課題の総数は、参加者にとって新しい{歴史的な}革新課題と本当に新しい革新課題とを含めて数百となります。

 そうした課題の例を挙げておきましょう。

課題1

フィンランドの有名な建築家レイマ・ピエティラ{1923– }はあるときクウェート政府に招かれて官庁のビルディングの設計を依頼されました。ピエティラはそれまでフィンランドの建築物の設計を行なってきましたから、直線、直角を多用するヨーロッパ洋式の建築スタイルに慣れていました。そこで、彼はクウェートのビルディングにもこのスタイルを採用したいと思いました。

しかし、クウェートは典型的なアラブ国家です。国内の建築物はアラビア文字を思わせる湾曲した輪郭を特徴とするアラブ様式で建てられています。直線を基調とするヨーロッパ洋式建築は周囲と調和しません。周囲と調和しない設計は建築家としての観点からも、美的な観点からも許されることではありません。自分が得意なヨーロッパ様式を保ったまま、周囲の他の建築物との調和を損なわないようにするにはどうしたら良いでしょうか。

課題2

19世紀のロシア文化には「民衆」という理念が強い影響力を持っていました。詩の分野では「民衆」の言葉、絵画では「民衆」的な色彩が求められていたのです。音楽の分野では、この理念はなによりもまず民謡を取り入れることによって表現されていました。バラキレフ{ロシアの作曲家:1837–1910}、チャイコフスキー{ロシアの作曲家:1840–1893}はじめ多くの作曲家は作品の中に民謡のメロディーをそのまま取り入れることを行ないました。

ボロディン{ロシアの作曲家:1833–1887}もオペラ『イーゴリ公』のなかで民謡『山の歌』を使おうと考えました。しかし、メロディーをそのまま取り入れるのはあまりにも月並みで創造性に欠けると思いました。とは言え、メロディーに手を加えてしまったのでは「民衆」のものではなくなってしまいます。「民衆」の理念を損なわずに、また、単にメロディーを使うのではない形で、この民謡をオペラにとり入れるにはどうしたら良いでしょうか。

 著者が主催する一週間のセミナーでは、第3日目にこのような課題に取んでもらいますが、参加者全員が筋の通った解決策を発見することができるようになります。本書でも後にあらためてこの問題を取り上げて、どのようにして解決策を得れば良いのか方法を検討することにします。

 煎じ詰めていえば、本書のすべてはこの例のように創造的なアイデアが求められる芸術分野の課題を解決する方法を紹介することにあてられているのです。

芸術を作品の集合として捉える研究では、芸術を理解する手がかりは得られません。これに対し、芸術を進化するシステムとして捉えると、より興味深い結果が得られます。進化の視点とTRIZとを結合させると最も実り多い成果を得ることができます。

—— 続く ——
書誌
Мурашковский, Юлий.
Биография искусств.— Петрозаводск: Скандинавия, 2006.— 550 с.

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