このページでは、1986年にウクライナのシンフェローポリ市で行われた「発明問題解決」セミナーに際してアルトシューラが用意したレジュメを紹介します。
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「技術的製品は法則に沿って進化している。この法則を明らかにして発明問題解決に活用することができる。」という思想は1946年に生じた。1948年以降はこの方向に向けた研究が主要な課題となった。
当初は、「問題を解決するとは、技術的矛盾を発見して克服することである」とか「解決策は物質、エネルギー、空間、時間を消費する量が少なければ少ないほど優れている」とかいったルールの大全こそが「発明の方法」だといった形で考えられていた。このようにして蓄積された「発明の方法」には、分割、組合せ、逆転、相変換、機械的スキームの化学的スキームへの転換などの類型的解法が含まれる。大発明家の業績に関する情報、自分自身の発明作業の経験、技術的製品の歴史に関する資料がこれらのルールや解法を発見する際の典拠の役割を果たした。
これはアルゴリズムではないし、プロセスとすらいえない、課題を解決する上でのステップのリストというべきもの(例えて言えば、本の注釈であり、本そのものではないもの)だった。ARIZ-56は大発明家たちの経験の研究に基づいて作られたもので、特許資料の分析はまだARIZ構築の主要な手段とはなっていなかった。操作部(operational part)はシネクティックス(Synectics)に似ていて(何よりもまず、自然界のプロトタイプを利用する)アナロジーに基づく発想法だった。
《『心理学の諸問題』、1956年、No.6》
長所:
事例: 気体を利用した断熱防御服に関する問題の解決
1950年代の中ごろまでに「最も優れた人たちを含めて、発明家は試行錯誤という非効率な方法を使って仕事をしている。従って『創造性の秘密』を発見して活用しようとする努力は無駄である。」という確信が形成され、強固なものとなっていった。技術システムの進化の客観的法則を活用することに基礎を置く原理的に新しい『発明の方法』を構築しなくてはならない。大量の特許情報を体系的に分析することによって、このような法則を明らかにすることは可能である。
訳注1:
全体としての構造と、その構造の中で順次使用するツール群(オペレータ、情報集)とを兼ね備えたプロセスを構築するための長い旅路の開始。初めて問題解決のステップ——すなわち、問題解決へ向けた作業段階——というものが登場した。しかし、ここでは未だ体系といえるものとはなっていなかった。ステップといっても順番を入れ替えても良いものでしかなかった。自然を手本とする方法は操作部の最後と格落ちになった。重要な独立したステップとして「理想的最終解」が登場した。
《『発明家と効率改善専門家』、1959年、No. 10》
アゼルバイジャン共和国建設省に於ける一連のセミナーの結果として作られた。
適用事例:
電気温度併用ジャッキ、すじかい構造材のスパイラル式固定法(Y. A. イズマイロフ)、支柱不要のぶどう垣
1950年代の末になって次のことが明らかになった:
「発明の方法」はARIZだけでなく技術システム進化の法則に関する部分を含み、また、情報フォンドによって常に拡充されていなくてはならない。「発明の方法」はやがて「発明の科学」に置き換えられなくてはならない。
しかし、この思想は強い反対に直面することになった。(それまでの)「発明の方法」は、まあ許してやっても良いといった見方をされていた。先人の経験の研究に基づく有益な推奨事項集以上のものではなく、(創造性という)「聖なる」概念と矛盾するわけではないのだから、というのが理由である。しかし、「発明の科学」となると話が違う。これは、偉大なる発明家たちは別格であるという考え方を否定し、創造的なプロセスは人知を超えるという広く受け入れられた考え方に抵触することによって、「聖なる」ものに手を挙げる行為だ、というわけである。「発明の方法」は「ひらめき」に役立った、しかし、「発明の科学」は過去の全ての技術を否定する。生得の能力を否定する。これは異端と言わざるを得ない……
バクー以外(ドネツク、タンボフ、リャザン)で行なわれた初めての一連のセミナーの経験を織り込んで改良されたARIZ-59の改訂版。操作部が拡大された。しかし、これまでと同様、ステップごとの作業のルールは存在しない。また、心理的惰性をコントロールするためのステップも欠けている。
《G.S.アルトシューラ『発明家のなり方』、タンボフ、タンボフ書籍出版、1961年》
活用事例:
鉱山におけるパイルの問題(ドネツク)、石油製品の逐次輸送法(スタブローポリ)
新たな部「問題状況の検証と確認」の登場。難問に対処して優れた解決策を得るための仕組み、としてARIZを進化させる方向に舵を切った原理的な変更である。ステップの作業を行なう上でのルールが始めて登場した(ステップ2.1において)。一連の解法の表が初めて作られた。
《G.S.アルトシューラ『発明の基礎』、ボロネジ、中央黒土帯書籍出版、1964年》
活用事例:
工場の窓の洗浄の問題
初めて(ごく小さい)技術的矛盾解決表が作られた。操作部にはあいかわらず自然を手本とする方法が含まれている。プロセスの進化の遠い目標をさす言葉として「アルゴリズム」という言葉が初めて現れた。
《G.S.アルトシューラ「注目! 発明のアルゴリズム」、『経済新聞』[訳注2]1965年9月1日号 付録》
訳注2:『経済新聞』はフィナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルに匹敵するソ連時代の有力新聞。
法則性:
TRIZが例えばA、B、C、D、E、Fと段階を追って形を変えて進化してゆくこととする。例えば、TRIZが現在Eの段階まで進化しているとすると、TRIZの観点からは次のF、G、Hくらいまで先を見通すことができる。そのとき、TRIZに反対する人たちはA、B、Cは既に受け入れている。また、口には出さないもののD、Eについてはそうかもしれないと考えている、一方で、F、Gについては大声で反対している。やがて、TRIZがFに進むと、反対者たちはDを承認し、E、Fについては口を閉ざし、Fの地点から次に進んだ姿として必然的であることが読み取られるG、Hに反対して大声で批判する。という具合である。
「発明の方法」の時代には、「発明家に対する一連の有益な奨励事項」は必要だが、「アルゴリズム的方法」とかアルゴリズムとかは全く不可能だ…… 一方、TRIZがTRIZとして登場すると、「アルゴリズム」という言葉と結びつき、つまりはARIZが可能性として考えられるようになる。こうしてTRIZ、ARIZという概念は避けられないものとなるのだが、アルゴリズムに替わって、TRIZ、TRTS(技術システム進化の理論)、OTSM(強力な思考の一般理論)が不快と憎しみの対象となる……
始めの部が「問題の選択」と「状況の確認」の2つに分割される。心理的惰性を軽減するための一連のステップが徐々に現われる。情報−操作フォンドが大きく拡張、整理される: 特許情報の体系的分析によって技術的矛盾解決のための35の類型的解法が明らかにされ、(矛盾)表と適用の仕方がまとめられる。自然を手本とする方法に替わって古生物学(?)が登場する。
《G.S.アルトシューラ『発明のアルゴリズム』(初版)、モスクワ、モスクワ労働者出版、1969年》
プロセスが従来より厳密ではっきりしたものとなった。分析作業の過程で操作空間とその空間に求められる互いに矛盾する(2つの)要請(つまり、物理的矛盾の原型)が特定されるようになった。寸法・時間・コスト=オペレータが導入された。技術的矛盾を解決する表の作成作業が完了し、解法のリストが拡充された(まず40個、ついで50個)。各ステップについて、作業内容に関する前書き、注、例が置かれるようになった。基本的なオペレータは全体として1つの体系を構成するようになっている——ステップ相互の連関が強化され、新しい部として「発見されたアイデアの予備的評価」が現われた。
《G.S.アルトシューラ『発明のアルゴリズム』(第2版)、モスクワ、モスクワ労働者出版、1973年.ただし、ARIZ-71の内容は同書の草稿として1971年に出版された》
このバージョンは、一方ではARIZ-71が当然の論理に従って進化を遂げたものといえる:個々のステップがより厳密に規定されるようになり、その作業内容に関する前書きもさらに厳格なものとなった。分析作業は矛盾が表面化されるまで行なわれる。しかし他方では、ARIZ-75はTRIZの一部として作られ、技術システム進化の法則、物資・場転換、物理的効果インデックスと協調して使われることが想定されている初めてのARIZでもある。
《G.S.アルトシューラ『研修用の発明問題の分析』(「発明に関する問題解決の理論と実践」選集の一部として)、ゴーリキー、1976.ただし、同選集の版下は1975年クラスノゴルスクの国防産業省教育センターで出版された》
このバージョンは、ARIZ-71で始まったラインの論理的帰結である: これによって、アルゴリズム的プロセスが構築された。アルゴリズムとしての正確さが一段と増した: 本文は多くのルール、説明、例を含んでいる。ミクロ物理矛盾のプロトタイプが出現している(ステップ4.1.)。第7部「問題解決過程の分析」が導入された。情報フォンド——典型的な物質・場転換、物理現象インデックスへの「橋渡し」が始まった。技術的矛盾解決表は補助的資料の形で残されている。
《G.S.アルトシューラ『厳密な学としての創造性』、モスクワ、ソビエトラジオ出版、1979》
1970年代はTRIZが急速に進化した時代である。何十という学校で学習(正式科目、セミナー形式、他)が行なわれ、「欠陥」は短期間のうちに表面化し、それを取り除くことを可能にする情報もまた短期間のうちに蓄積された。TRIZの全ての部分——アルゴリズム、標準解、物質・場分析、技術システム進化の法則の教育、情報フォンド、理論教育の方法——が進化した。
1970年代末から1980年代始めにかけて、TRIZの「地層」の中にTRTSに移行するのに欠かせない資料が蓄積されていった。1982年からは研修プログラムが大きく改訂された:(TRIZ研修の)主な目的はTRTSの教育に、また、さらに先の目標としてはTRTSからOTSM——強力な思考の一般理論、すなわち、人間活動のあらゆる分野での創造的な問題解決の理論——への移行の基礎固めにおかれるようになった。
ARIZ-82から汎用化と専門化とが同時に進行する逆説的な過程が始まった。技術的な分野ではアルゴリズムの目標は例外的な問題の解決と、発明のための新しい標準解の開発とに特化することになった。同時に、ARIZは汎用化の特徴も兼ね備えるようになった: ARIZは技術分野以外でも、基礎科学、芸術などに適用されるようになった。
アルゴリズムを教育および実践で適用した事例の情報が急速に蓄積された。TRIZのほかの部分や様々なツールの開発作業が猛烈に進んだ。これらによってARIZも力強く進化することが可能となった。
《「ARIZ-82B」、『技術と科学』誌、1983年 No. 2, 3, 4》
《「ARIZ-85A」、G.S.アルトシューラ、B.ズローチン、V.フィラートフ、Kartya moldavanesku『職業は新しいことの探索』、1985年》
これまでは(TRIZ学校で)教師が説明していたこと、あらゆる説明、微妙な点など全てをARIZの本文に取り込まなければならないという新たな方向性が目指されることになった。
ARIZの各部は、第1部を除いて、全てが改良されていったが、特に物理的矛盾からその排除へと移行するオペレータ群が改良された。問題モデルの分析にかかわる一連の手順が登場した。ミクロ物理矛盾の特定とその結果としてIFR-2が導入された。
《G.S.アルトシューラ、B.ズローチン、V.フィラートフ、Kartya moldavanesku『職業は新しいことの探索』、1985年》
アルゴリズムの構造の大幅な変更: 2つ目の操作ライン——物質・場資源(SFR)の分析——が導入された。以前の第1部が本文から除外された(今となっては、第1部は他の各部と比較してアルゴリズム性が不足している)。理想性への指向が強化され、最も有効なSFRとしての「空」(ヴォイド)の意味が強調された。アルゴリズムと標準解体系および技術システム進化の法則との間の結びつきが強化された。
《G.S.アルトシューラ『ARIZ-85B、ARIZ85-C』、ドニエプロペトロフスク、1984および1985;G.S.アルトシューラ『アイデア発見:TRIZ入門』、ノボシビリスク、ナウカ出版シベリア支部、1986》
次のような基本的な方向を特記することができる:
以上
書誌
G. S. アルトシューラ「ARIZの進化の歴史」、
ウクライナ共産党シンフェローポリ市委員会付属共同経営高等教育学校
「発明問題解決」セミナー、1986年
(Альтшуллер Г.С. История развития АРИЗ.
— Семинар “Теория решения изобретательских задач”,
Bысшая школа хозяйственного управления при
Симферопольском горкоме компартии Украины.)